大碓皇子

名前
  • 大碓皇子【日本書紀】(おおうすのみこ, おほうす
  • 大碓命【日本書紀,古事記】(おおうすのみこと, おほうす
キーワード
  • 身毛津君(むけつのきみ)守君(もりのきみ)凡二族之始祖【日本書紀 巻第七 景行天皇四十年七月戊戌条】
  • 守君(もりのきみ)大田君(おおたのきみ)島田君(しまだのきみ)之祖【古事記 中巻 景行天皇段】
  • 後裔は左京牟義公(むげのきみ)・左京守公(もりのきみ)・河内国大雨宿禰(おおさめのすくね)校異:大田宿禰(おおたのすくね)・河内国守公・河内国阿礼首(あれのおびと)・和泉国池田首(いけだのおびと)【新撰姓氏録抄 当サイトまとめ】
性別
男性
生年月日
景行天皇12年
没年月日
(景行天皇40年7月16日 ~ )
  • 景行天皇けいこうてんのう【日本書紀 巻第七 景行天皇二年三月戊辰条】
  • 播磨稲日大郎姫はりまのいなひのおおいらつめ【日本書紀 巻第七 景行天皇二年三月戊辰条】
先祖
  1. 景行天皇
    1. 垂仁天皇
      1. 崇神天皇
      2. 御間城姫
    2. 日葉酢媛命
      1. 丹波道主王
      2. 丹波之河上之摩須郎女
  2. 播磨稲日大郎姫
    1. 若建吉備津日子
      1. 孝霊天皇
      2. 絙某弟
    2. unknown
配偶者
  • 兄比売えひめ【古事記 中巻 景行天皇段】
  • 弟比売おとひめ【古事記 中巻 景行天皇段】
出来事
  • 景行天皇12年日本武尊の生年に合わせる。

    景行天皇の皇子として生まれる。母は播磨稲日大郎姫

    大碓皇子と小碓尊は同じ日に双子として生まれた。
    天皇は怪しんで(うす)に叫んだ。それで二王を名付けて大碓(おおうす)小碓(おうす)というのである。

    【日本書紀 巻第七 景行天皇二年三月戊辰条】
  • 景行天皇美濃国造、名は神骨の女、姉の名は兄遠子、妹の名は弟遠子。この二人が美人と聞き、大碓命を遣わして容姿を確認させた。
    しかし大碓命は密通して復命しなかった。それで大碓命を恨んだ。

    時期を景行天皇4年2月としているが、大碓皇子の年齢に無理が生じるために採用せず。
    【日本書紀 巻第七 景行天皇四年二月是月条】
    • 天皇は三野国造の祖神大根王の女、名は兄比売弟比売の二人の容姿が美しいと聞き、御子の大碓命を遣わして召し上げさせた。
      しかし大碓命は召し上げることなく、自分がその二人の女性と結婚した。
      さらに他の女を探して、その女性の名を付けて偽り、天皇に献上した。
      天皇は別の女性だということを知り、常に訝しげな目をして、近寄らなかった。

      その大碓命が兄比売を娶り、生まれた子は
      押黒之兄日子王。これは三野(みの)宇泥須和気(うねすわけ)の祖である。
      また弟比売を娶り、生まれた子は
      押黒弟日子王。これは牟宜都君(むげつのきみ)らの祖である。

      【古事記 中巻 景行天皇段】
  • ・・・
    • 景行天皇小碓命に「なぜお前の兄は朝夕の大御食に出て参らないのか。お前からやさしく教えさとしなさい」と詔した。この詔の後、五日たっても出て参らなかった。そこで天皇は小碓命に「なぜお前の兄は久しく出て参らないのか。もしやまだ教えてないのではないか」と尋ねると、「すでに教えさとしました」と答えた。また「どのように教えさとしたか」と詔すると、「明け方、厠に入ったところを捕らえて掴み潰し、手足を引きもいで、 (こも)に包んで投げ棄てました」と答えた。

      古事記では日本書紀と違い、ここでオオウスは殺されたもよう。
      【古事記 中巻 景行天皇段】
  • 景行天皇40年6月

    東夷が多く叛いて辺境が動揺する。

    【日本書紀 巻第七 景行天皇四十年六月条】
  • 景行天皇40年7月16日

    天皇は群卿に詔して「東国が不安定で暴れる神が多くいる。また蝦夷が反乱して、しばしば人民が略奪にあっている。誰を遣わして平定させるべきか」と。
    群臣は誰を派遣すべきか判断出来なかったが、日本武尊が奏上して「私が先に西征させて頂きました。この役は大碓皇子が良いでしょう」と。
    時に大碓皇子は愕然として草の中に逃げ隠れた。使者を遣わして連行した。
    天皇が責めて言うには「お前が望まないものを、なぜ無理強いしようか。賊に向い合いもせずに、こんなにも恐れるとは」と。
    そして美濃に封じて、その封地に行かせた。

    【日本書紀 巻第七 景行天皇四十年七月戊戌条】