大碓皇子
- 名前
- 大碓皇子【日本書紀】(おおうすのみこ, おほうすのみこ)
- 大碓命【日本書紀,古事記】(おおうすのみこと, おほうすのみこと)
- キーワード
身毛津君 ・守君 凡二族之始祖【日本書紀 巻第七 景行天皇四十年七月戊戌条】守君 ・大田君 ・島田君 之祖【古事記 中巻 景行天皇段】- 後裔は左京
牟義公 ・左京守公 ・河内国大雨宿禰 校異:大田宿禰(おおたのすくね)・河内国守公・河内国阿礼首 ・和泉国池田首 【新撰姓氏録抄 当サイトまとめ】
- 性別
- 男性
- 生年月日
- 景行天皇12年
- 没年月日
- (景行天皇40年7月16日 ~ )
- 父
景行天皇 【日本書紀 巻第七 景行天皇二年三月戊辰条】
- 母
播磨稲日大郎姫 【日本書紀 巻第七 景行天皇二年三月戊辰条】
- 先祖
- 配偶者
- 子
- 出来事
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景行天皇12年日本武尊の生年に合わせる。
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【日本書紀 巻第七 景行天皇四年二月是月条】
- ・・・
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景行天皇40年6月
東夷が多く叛いて辺境が動揺する。
【日本書紀 巻第七 景行天皇四十年六月条】 -
景行天皇40年7月16日
天皇は群卿に詔して「東国が不安定で暴れる神が多くいる。また蝦夷が反乱して、しばしば人民が略奪にあっている。誰を遣わして平定させるべきか」と。
【日本書紀 巻第七 景行天皇四十年七月戊戌条】
群臣は誰を派遣すべきか判断出来なかったが、日本武尊が奏上して「私が先に西征させて頂きました。この役は大碓皇子が良いでしょう」と。
時に大碓皇子は愕然として草の中に逃げ隠れた。使者を遣わして連行した。
天皇が責めて言うには「お前が望まないものを、なぜ無理強いしようか。賊に向い合いもせずに、こんなにも恐れるとは」と。
そして美濃に封じて、その封地に行かせた。
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