五十瓊敷入彦命
- 名前
- 五十瓊敷入彥命【日本書紀】(いにしきいりひこのみこと)五十瓊敷入彦命
- 五十瓊敷命【日本書紀】(いにしきのみこと)
- 五十瓊敷皇子【日本書紀】(いにしきのみこ)
- 印色之入日子命【古事記】(いにしきのいりひこのみこと)
- 印色入日子命【古事記】(いにしきいりひこのみこと)
- 性別
- 男性
- 生年月日
- (垂仁天皇15年2月10日 ~ 垂仁天皇17年)
- 没年月日
- (垂仁天皇87年2月5日 ~ )
- 父
垂仁天皇 【日本書紀 巻第六 垂仁天皇十五年八月壬午朔条】
- 母
日葉酢媛命 【日本書紀 巻第六 垂仁天皇十五年八月壬午朔条】
- 先祖
- 出来事
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(垂仁天皇15年2月10日 ~ 垂仁天皇17年)母の後宮入り以後~弟である景行天皇誕生以前。
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垂仁天皇30年1月6日
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垂仁天皇35年9月
垂仁天皇の命令で、河内国に
【日本書紀 巻第六 垂仁天皇三十五年九月条】高石池 ・茅渟池 を造る。-
【古事記 中巻 垂仁天皇段】血沼池 ・狭山池 ・日下 の高津池 を造った。
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垂仁天皇39年10月
五十瓊敷命は
【日本書紀 巻第六 垂仁天皇三十九年十月条】茅渟 の菟砥川上宮 にて剣千振を作らせた。それでその剣を名付けて川上部 という。またの名を裸伴 裸伴。此云阿箇播娜我等母。という。これを石上神宮に蔵めた。
この後、垂仁天皇は五十瓊敷命に命じて、石上神宮の神宝を司らせた。-
【古事記 中巻 垂仁天皇段】鳥取 の河上宮 にて横刀 千振を作らせて、これを石上神宮に奉納し、その宮にて河上部 を定めた。
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垂仁天皇87年2月5日
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