広瀬王 このページは作成途上です 名前 廣瀨王【日本書紀】(ひろせのおおきみ, ひろせのおほきみ)広瀬王 生年月日( ~ 天武天皇10年3月17日) 没年月日(持統天皇6年3月6日 ~ ) 称号・栄典とても広〜い意味です。浄広肆(じょうこうし)【日本書紀 巻第三十 持統天皇六年三月戊辰条】 出来事 天武天皇10年3月17日 天武天皇が川島皇子・忍壁皇子・広瀬王・竹田王・桑田王・三野王・上毛野三千・忌部首・阿曇稲敷・難波大形・中臣大島・平群子首に詔して、帝紀及び上古の諸事を記し定めさせた。 大島・子首は自ら筆を執って記した。 【日本書紀 巻第二十九 天武天皇十年三月丙戌条】 天武天皇13年2月28日 大伴安摩呂・判官(まつりごとひと)・録史(ふびと)・陰陽師・工匠らと共に、都に相応しい地を視察するよう天武天皇から命じられる。 【日本書紀 巻第二十九 天武天皇十三年二月庚辰条】 天武天皇14年9月11日 宮処王・難波王・竹田王・弥努王と共に、京及び畿内にいる人夫の武器を調べるよう天武天皇から命じられる。 【日本書紀 巻第二十九 天武天皇十四年九月甲寅条】 持統天皇6年3月3日 持統天皇の伊勢行幸の際の留守官に任命される。 【日本書紀 巻第三十 持統天皇六年三月戊辰条】 持統天皇6年3月6日 持統天皇が伊勢に行幸する。 【日本書紀 巻第三十 持統天皇六年三月辛未条】