物部十千根

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名前
  • 氏(ウジ):物部(も
  • 姓(カバネ):連(むらじ)連
  • 姓(カバネ):連公【先代旧事本紀】(むらじ)連公
  • 名:十千根【日本書紀】(とおちね, をちね)
  • 物部十千根大連【日本書紀】(もののべのとおちねのおおむらじ, もをちねおほむらじ)物部十千根大連
  • 十千根大連【日本書紀】(とおちねのおおむらじ, をちねおほむらじ)十千根大連
  • 十市根命【先代旧事本紀】(とおちねのみこと, をちね
  • 止知尼大連【新撰姓氏録抄】(とちねのおおむらじ, ちねおほむらじ)止知尼大連
  • 止智尼大連校異【新撰姓氏録抄】(とちねのおおむらじ, ちねおほむらじ)止智尼大連
  • 止知尾大連校異【新撰姓氏録抄】止知尾大連
  • 十千尼大連【新撰姓氏録抄】(とおちねのおおむらじ, をちねおほむらじ)十千尼大連
キーワード
  • 物部連(もののべのむらじ)遠祖【日本書紀 巻第六 垂仁天皇二十五年二月甲子条】
  • 後裔は和泉国若桜部造(わかさくらべのみやつこ)「履中天皇の御世、桜の花を採って献じたことから物部連(もののべのむらじ)を改めて若桜部造(わかさくらべ)の姓を賜った」とある。・和泉国安幕首(あまくのおびと)校異:安幕・安蟇・安蟇物部【新撰姓氏録抄 当サイトまとめ】
性別
男性
生年月日
( ~ 垂仁天皇23年8月4日)
没年月日
(垂仁天皇87年2月5日 ~ )
  • 伊香色雄命いかがしこおのみこと【先代旧事本紀 巻第五 天孫本紀】
  • 玉手姫たまてひめ【先代旧事本紀 巻第五 天孫本紀】
先祖
  1. 伊香色雄命
    1. 大綜杵命
      1. 大矢口命
      2. 坂戸由良都姫
    2. 高屋阿波良姫
  2. 玉手姫
    1. 長溝
配偶者
  • 時姫ときひめ【先代旧事本紀 巻第五 天孫本紀】
  • 物部胆咋もののべのいくい【先代旧事本紀 巻第五 天孫本紀】【母:時姫ときひめ
  • 物部止志奈もののべのとしな【先代旧事本紀 巻第五 天孫本紀】【母:時姫ときひめ
  • 物部片堅石もののべのかたかたし【先代旧事本紀 巻第五 天孫本紀】【母:時姫ときひめ
  • 物部印岐美もののべのいきみ【先代旧事本紀 巻第五 天孫本紀】【母:時姫ときひめ
  • 物部金弓もののべのかなゆみ【先代旧事本紀 巻第五 天孫本紀】【母:時姫ときひめ
称号・栄典とても広〜い意味です。
  • 垂仁五大夫すいにんごたいふ【日本書紀 巻第六 垂仁天皇二十五年二月甲子条】
  • 大連おおむらじ【日本書紀 巻第六 垂仁天皇二十六年八月庚辰条】
出来事
  • 垂仁天皇23年8月4日

    五大夫の一人となる。

    【先代旧事本紀 巻第七 天皇本紀 垂仁天皇二十三年八月己亥条】
  • 垂仁天皇25年2月8日

    垂仁天皇五大夫に言うには「先皇御間城入彦五十瓊殖天皇崇神天皇は賢く聖であり、欽み明かにして聡く、深く謙虚に執り、志半ばで退いた。万機を治めて神祇を礼祭し、己れに厳しく勤め、日々を慎んだ。それで人民は豊かになり、天下は太平である。今朕の世に当たり、神祇を祭祀することを怠ってはならない」と。

    【日本書紀 巻第六 垂仁天皇二十五年二月甲子条】
  • 垂仁天皇26年8月3日

    垂仁天皇は物部十千根大連に勅して「しばしば出雲国に使者を遣わして、その国の神宝を検めさせたが、はっきりと申す者もいない。お前が出雲に行って調べなさい」と。
    十千根大連は神宝を調べてはっきりと報告した。それで神宝を司らせた。

    【日本書紀 巻第六 垂仁天皇二十六年八月庚辰条】
  • 垂仁天皇81年2月1日

    物部連公(もののべのむらじきみ)の姓を賜る。即ち大連となる。

    【先代旧事本紀 巻第七 天皇本紀 垂仁天皇八十一年二月壬辰朔条】
  • 垂仁天皇87年2月5日

    五十瓊敷命が妹の大中姫に言うには「私は老いたので神宝を掌ることができない。今後はお前が掌りなさい」と。
    大中姫命が言うには「私はか弱い女です。どうやって天神庫(あめのほくら)神庫。此云保玖羅。に登れましょうか」と。
    五十瓊敷命が言うには「神庫が高いといっても、私が神庫に梯子を造る。神庫に登れないことはない」と。
    それで諺に「天神庫も樹梯(はしだて)のままに」と言うのは、これがそのもとである。
    そして大中姫命は物部十千根大連に授けて治めさせた。それで物部連らが今に至るまで石上の神宝を治めるのは、これがもとである。

    昔、丹波国(たにわのくに)桑田村(くわたのむら)甕襲という名の人がいた。
    甕襲の家には犬がいて、名を足往(あゆき)といった。この犬は牟士那(むじな)という名の山獣を食い殺した。すると獣の腹に八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)があり、これを献上した。この玉は今、石上神宮にある。

    【日本書紀 巻第六 垂仁天皇八十七年二月辛卯条】
関連
  • 七世祖:速日命はやひのみこと【新撰姓氏録抄 第二帙 第二十巻 和泉国神別 天神 若桜部造条】