名前
  • 猨田毘古神【古事記】(さるた)猿田毘古神
  • 猨田毘古大神【古事記】(さるたびこのおおかみ, さるたおほか)猿田毘古大神
  • 猨田毘古之男神【古事記】(さるたびこのおかみ, さるたをか)猿田毘古之男神
  • 猿田彥神【日本書紀】(さるた)猿田彦神
  • 猿田彥大神【日本書紀】(さるたひこのおおかみ, さるたおほか)猿田彦大神
  • 衢神【日本書紀】(ちまた)衢神
出来事
  • はじめ天上に居る時に、予め隠れた契約を結んで衢神が先に降ったことには深いわけがある。

    【古語拾遺 垂仁天皇段】
  • 日子番能邇邇芸命が天降るとき、天之八衢(あめのやちまた)に居て、上は高天原を照らし、下は葦原中国を照らす神がここにあった。それで天照大御神高木神の命令で、天宇受売神に詔して「お前はか弱い女だけれども、相対する神と面と向かっても気後れしない神である。それでお前が行って『我が御子が天降る道に、そのようにして居るのは誰か』と尋ねよ」と。
    それで問い質してみると、「私は国神で、名を猿田毘古神と申します。ここに出ているのは、天神の御子は天降ると聞きまして、御先導を仕え奉るためにお迎えに参ったのです」と答えた。
    こうして天児屋命布刀玉命天宇受売命伊斯許理度売命玉祖命の、合わせて五伴緒五族の長。を分け加えて天降らせた。
    天照大御神を岩屋戸から招き出した八尺(やさか)勾璁(まがたま)と鏡、及び草那芸剣(くさなぎのつるぎ)を賜り、また常世思金神手力男神天石門別神を副え、詔して「この鏡は、ひたすらに私の御魂として、私を拝むように斎き祭りなさい。次に思金神は先に述べたように取り扱って政治をしなさい」と。

    そこで詔して、天津日子番能邇邇芸命天之石位(あめのいわくら)高天原の御座。を離れ、幾重にもたなびく天雲を押し分け、威をもって道をかき分け、天浮橋(あめのうきはし)の浮島に立って、竺紫(つくし)日向(ひむか)高千穂(たかちほ)くじふる岳槵触山のことか。原文は「久士布流多気」に天降った。
    そして天忍日命天津久米命の二人は天之石靫(あめのいわゆぎ)を負い、頭椎之大刀(くぶつちのたち)を佩き、天之波士弓(あめのはじゆみ)を持ち、天之真鹿児矢(あめのまかこや)を手に挟み、面前に立って仕えた。

    そこで詔して「この地は韓国(からのくに)に向かい、笠紗(かささ)の岬に真っ直ぐ通じ、朝日が直射する国であり、夕日が照る国である。故にこの地はまことに良い地である」と言うと、地底の磐石に太い宮柱を立てて、高天原に届くほどに千木を高くして住んだ。

    そこで天宇受売命に詔して、「この先導して仕えた猿田毘古大神は、正体を明らかにしたお前が送りなさい。またその神の御名は、お前が負って仕えなさい」と。
    こうして猿女君(さるめのきみ)らは、その猿田毘古之男神の名を負って、女を猿女君と呼ぶわけがこれである。

    それでその猿田毘古神は、阿邪訶(あざか)にいるとき、漁をして比良夫貝(ひらぶがい)にその手を挟まれて、海水に沈み溺れた。それでその沈んでいるときの名を底度久御魂(そこどくみたま)という。その海水の泡粒が上がるときの名を都夫多都御魂(つぶたつみたま)という。その泡が裂けるときの名を阿和佐久御魂(あわさくみたま)という。

    猿田毘古神を送って帰って来ると、すぐにあらゆる大小の魚を追い集めて、「お前たちは、天神の御子にお仕え奉るか」と尋ねると、魚たちは皆が「お仕え奉ります」と言った中で、海鼠(なまこ)だけが答えなかった。そこで天宇受売命は海鼠に「この口は答えない口か」と言って、紐小刀(ひもかたな)でその口を裂いた。それで今でも海鼠の口は裂けている。
    こういうわけで、御世ごとに(しま)志摩が速贄を献上するときに、猿女君らに賜うのである。

    【古事記 上巻】
    • 天照大神の命により、天津彦彦火瓊瓊杵尊葦原千五百秋之瑞穂国(あしはらのちいおあきのみつほのくに)に降ろうとするときに、先払いの神が還ってきて言うには、「一柱の神が天八達之衢(あめのやちまた)道の多く分かれる所。におります。その鼻の長さは七(あた)。背の長けは七尺余り。まさに七尋(ななひろ)と言うべきでしょう。また口尻口と尻、または口の端かは不明。は明るく輝き、目は八咫鏡のようで、照り輝いていることは、赤酸醤(ほおずき)に似ています」と。そこで神を遣わして問わせた。時に八十万神(やそよろずのかみ)がいたが、皆眼光の鋭さに話が出来なかった。そこで特に天鈿女に勅して「お前は眼光の鋭さに勝る神である。行って尋ねなさい」と。
      天鈿女はその胸の乳をかき出し、裳の帯を臍の下まで押し下げ、笑って向かい立った。この時、衢にいる神は尋ねて「天鈿女よ。あなたがこのようなことをするのはどうしてですか」と。対して「天照大神の御子がおいでになる道に、このようにいる者は誰ですか。あえて問う」と。衢神は「天照大神の御子が、今まさにお降りになられると聞きました。それでお迎え奉ろうと思って待っているのです。私の名は猿田彦大神です」と答えた。時に天鈿女はまた尋ねて「お前が私より先に行くのか、それともお前が私より先に行くのか」と。答えて「私が先に道を開いて行きましょう」と。天鈿女はまた尋ねて「お前はどこに行くのだ。皇孫はどこにおいでになるのか」と。答えて「天神の御子は筑紫(つくし)日向(ひむか)高千穂(たかちほ)槵触(くしふる)の峰においでになるでしょう。私は伊勢の狭長田(さなだ)五十鈴(いすず)の川上に行くでしょう」と。そして「私の出所を顕わにしたのはあなたですから、あなたが私を送って下さい」と言った。天鈿女は還って報告した。
      そこで皇孫は天磐座(あめのいわくら)を離れ、天八重雲(あめのやえたなくも)を押し分け。勢いよく道を別けに別けて天降った。遂に先の約束のとおり、皇孫は筑紫の日向の高千穂の槵触の峰に着いた。その猿田彦神は、伊勢の狭長田の五十鈴の川上に着いた。そして天鈿女命は、猿田彦神の求めるままに送った。時に皇孫が天鈿女命に勅して「お前は顕わにした神の名を姓氏とせよ」と。そして猿女君(さるめのきみ)の名を賜った。それで猿女君の男女らを、皆呼んで君というのは、これがそのもとである。

      【日本書紀 巻第二 神代下第九段 一書第一】
    • まさに降ろうとする間に、先駆けが戻ってきて、「一柱の神が天八達之衢(あめのやちまた)におります。その鼻の長さは七咫、背丈は七尺、口尻は照り輝き、目は八咫鏡のようです」と言った。
      従っていた神を遣わして、その名を問わせた。八十万の神は、皆顔を合わせることも出来なかった。
      そこで天鈿女命は勅を受けて向かった。そしてその胸乳を露わにし、裳の帯を臍の下に押し下げ、向かい合って嘲笑った。
      この時、衢神は「あなたは何故そのようにしているのだ」と尋ねた。天鈿女命は対して「天孫のお出でになる道に居る者は誰だ」と言った。衢神は答えて「天孫がお降りになると聞いて、お迎え奉るためにお待ちしている。我が名は猿田彦大神である」と言った。
      天鈿女命が「お前が先に行くべきか。それとも私が先に行くべきか」と尋ねると、「私が先に行って道を開こう」と答えた。天鈿女がまた「お前は何処に行くのか。また天孫は何処にいらっしゃるのか」と尋ねると、「天孫は筑紫(つくし)日向(ひむか)高千穂(たかちほ)槵触之峰(くしふるのたけ)に至り、私は伊勢の狭長田(さなだ)五十鈴(いすず)の川上に行こう」と答えた。そして「私を顕したのはあなただ。私を送って下さい」と言った。天鈿女命は還って報告した。
      天孫が降ることは、全てその通りであった。
      天鈿女命は求めに応じて送った。天鈿女命猿女君(さるめのきみ)の遠祖である。顕わにした神の名を以って氏姓とした。今その氏の男女が皆、猿女君というのは、これがもとである。

      【古語拾遺 神代段】
    • 先駈の者が還って言うには「一柱の神が天八達之衢(あめのやちまた)に居て、上は高天原を照らし、下は葦原中国を照らしています。その鼻の長さは十咫。背丈は七尺余り。まさに七尋(ななひろ)と言うべきです。また口と尻は明るく輝き、眼は八咫鏡のようで、赤酸醬に似ています」と。
      そこで従う神を遣わして尋ねてみたが、八十万神は眼力に負けて尋ねることが出来なかった。それで手弱女(たおやめ)だが、天鈿売に勅して「お前は人よりも眼力に勝れている。行って問いなさい」と。天鈿売命はその胸乳を露わにして、裳の帯を臍の下まで下げて、嘲笑って向い立った。
      衢神は天鈿売に「お前は何故そのようにしている」と問うた。答えて「天神の御子がお出でになられる道に、このように居る者は誰だ」と。答えて「天照太神の御子が今まさにお降りになられるという。それでお迎えするする為に待っているのだ。我が名は猿田彦大神である」と。
      天鈿売命はまた問うて「お前が私より先に行くべきか。または私がお前より先に行くべきか」と。答えて「私が先に行こう」と。
      天鈿女はまた問うて「お前は何処に行こうとするのか。皇孫は何処にお出でになられるのが宜しいか」と。答えて「天神の御子は筑紫の日向の高千穂の槵触の峰にお出でになられるのが宜しいでしょう。私は伊勢の狭長田(さながだ)の五十鈴の川上に行きます」と。それで「私を顕にしたのはお前である。そこでお前に私を送って頂こう」と言った。
      天鈿売命は戻って報告した。皇孫は天鈿売命に詔して「この御前に奉仕する猿田彦大神は、専らに顕し申したのだ。お前が送り奉りなさい。またその神の御名は、お前が負って仕え奉りなさい」と。
      これを以って猿女君(さるめのきみ)らは、その猿田彦神の名を負って、女を猿女君と呼ぶのである。
      時に猿田彦神が阿邪河(あざか)に居た時、漁をしていて比良夫貝にその手を挟まれて海で溺れた。それでその海底に沈んでいった時の名を底度久御魂(そこどくみたま)という。その海水の粒立つ時の名を都夫立御魂(つぶたつみたま)。その泡が避ける時の名はを沫佐久御魂(あわさくみたま)という。

      【先代旧事本紀 巻第六 皇孫本紀】
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