隼別皇子
- 名前
- 隼別皇子【日本書紀】(はやぶさわけのみこ)
- 隼總別皇子【日本書紀】(はやぶさわけのみこ)隼総別皇子
- 速總別命【古事記】(はやぶさわけのみこと)速総別命
- 速總別王【古事記】(はやぶさわけのみこ)速総別王
- 性別
- 男性
- 没年月日
- 仁徳天皇40年2月
- 父
応神天皇 【日本書紀 巻第十 応神天皇二年三月壬子条】
- 母
糸媛 【日本書紀 巻第十 応神天皇二年三月壬子条】
- 先祖
- 配偶者
雌鳥皇女 【日本書紀 巻第十一 仁徳天皇四十年二月条】
- 出来事
-
仁徳天皇40年2月三月とする写本あり。
仁徳天皇は雌鳥皇女を妃に入れたいと思い、隼別皇子を仲立ちとした。
隼別皇子は密かに自ら娶り、久しく復命しなかった。
天皇は夫があることを知らずに、自ら雌鳥皇女の寝室にやってきた。
時に皇女の為に機織りの女たちが歌った。「
比 佐 箇 多 能 阿 梅 箇 儺 麼 多 謎 廼 利 餓 於 瑠 箇 儺 麼 多 波 揶 步 佐 和 氣 能 瀰 於 須 譬 鵝 泥 」天皇は隼別皇子が密かに結婚していたことを知って恨んだ。
しかし皇后の言葉にはばかり、また兄弟の義を重んじ、耐えて罪とはしなかった。しばらくして隼別皇子は皇女の膝を枕にして寝た。
そして「鷦鷯 ミソサザイ。仁徳天皇の御名は大鷦鷯。と隼ではどちらが速いだろうか」と語った。すると「隼が速いです」と答えた。
皇子は「私が先んじているということだ」と言った。天皇はこの言葉を聞いて、更に恨みを起こした。
時に隼別皇子の舎人たちが歌った。
「
破 夜 步 佐 波 阿 梅 珥 能 朋 利 等 弭 箇 慨 梨 伊 菟 岐 餓 宇 倍 能 娑 奘 岐 等 羅 佐 泥 」天皇はこの歌を聞くと大いに怒って言うには「朕は私事の恨みで親族を失いたくはないので耐えてきたのだ。なぜ隙があるからと私事を世の中に及ぼそうとするのか」と。
そして隼別皇子を殺そうと思った。時に皇子は雌鳥皇女を連れて、伊勢神宮を参拝しようと急いだ。
天皇は隼別皇子が逃走したと聞いて、吉備品遅部雄鯽・播磨佐伯直阿俄能胡を遣わして「後を追って捕えたら、ただちに殺せ」と言った。
皇后八田皇女は「雌鳥皇女は重罪に当たります。しかし殺すときに皇女の身を露わにすることは望みません」と言った。
そこで雄鯽らに勅して「皇女が身につけている足玉・手玉を取ってはいけない」と言った。
雄鯽らは追って菟田 に至り、素珥山 に迫った。
この時に皇子たちは草の中に隠れて僅かに免れることができた。そして急いで逃げて山を越えた。
ここで皇子が歌を詠んだ。「
破 始 多 氐 能 佐 餓 始 枳 揶 摩 茂 和 藝 毛 古 等 赴 駄 利 古 喩 例 麼 揶 須 武 志 呂 箇 茂 」雄鯽らは逃げられたことを知り、急ぎ追って伊勢の
【日本書紀 巻第十一 仁徳天皇四十年二月条】蒋代野 で殺した。
時に雄鯽らは皇女の玉を探して、裳の中から見つけて取った。
そして二王の屍は廬杵河 のほとりに埋めて復命した。
皇后が雄鯽らに「もしや皇女の玉を見ていませんか」と問うと、「見ませんでした」と答えた。-
天皇はその弟の速総別王を仲人として、庶妹の女鳥王を求めた。
しかし女鳥王が速総別王に言うには「大后の嫉妬が強く、八田若郎女はお召しに預かれておりません。私もお仕えすることは出来ないと思います。私はあなた樣の妻になりましょう」と。
すぐに結婚した。速総別王は復命しなかった。そこで天皇は女鳥王のいる御殿に行って、その御殿の戸口の敷居の上にいた。
女鳥王は機に坐して服を織っていた。
そこで天皇は歌を詠んだ。「
賣 杼 理 能 和 賀 意 富 岐 美 能 淤 呂 須 波 多 他 賀 多 泥 呂 迦 母 」女鳥王は答えて歌を詠んだ。
「
多 迦 由 久 夜 波 夜 夫 佐 和 氣 能 美 淤 須 比 賀 泥 」天皇は事情を知って宮中に帰った。
その夫の速総別王がやって来た時に、その妻の女鳥王が歌を詠んだ。
「
比 婆 理 波 阿 米 邇 迦 氣 流 多 迦 由 玖 夜 波 夜 夫 佐 和 氣 佐 邪 岐 登 良 佐 泥 」天皇はこの歌を聞くと、すぐに軍を興して殺そうとした。
速総別王と女鳥王は共に逃げ退いて
倉椅山 に登った。
ここで速総別王が歌を詠んだ。「
波 斯 多 弖 能 久 良 波 斯 夜 麻 袁 佐 賀 志 美 登 伊 波 迦 伎 加 泥 弖 和 賀 弖 登 良 須 母 」また歌を詠んだ。
「
波 斯 多 弖 能 久 良 波 斯 夜 麻 波 佐 賀 斯 祁 杼 伊 毛 登 能 煩 禮 波 佐 賀 斯 玖 母 阿 良 受 」
【古事記 下巻 仁徳天皇段】
そしてその地から逃亡して、宇陀 の蘇邇 に至るときに、御軍が追いつかれて殺された。
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