吉備品遅部雄鯽

  • twitterでツイートする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
名前
  • 吉備品遲部雄鯽【日本書紀】(きびのほんちべのおふな, ほむちをふな)吉備品遅部雄鯽
  • 雄鯽【日本書紀】(おふな, をふな)
生年月日
( ~ 仁徳天皇40年2月30日)
没年月日
(仁徳天皇40年2月1日 ~ )
出来事
  • 仁徳天皇40年2月三月とする写本あり。

    仁徳天皇隼別皇子を殺そうと思った。

    隼別皇子雌鳥皇女を連れて、伊勢神宮を参拝しようと急いだ。

    天皇は隼別皇子が逃走したと聞いて、吉備品遅部雄鯽・播磨佐伯直阿俄能胡を遣わして「後を追って捕えたら、ただちに殺せ」と言った。
    皇后八田皇女は「雌鳥皇女は重罪に当たります。しかし殺すときに皇女の身を露わにすることは望みません」と言った。
    そこで雄鯽らに勅して「皇女が身につけている足玉・手玉を取ってはいけない」と言った。
    雄鯽らは追って菟田(うだ)に至り、素珥山(そにやま)に迫った。
    この時に皇子たちは草の中に隠れて僅かに免れることができた。そして急いで逃げて山を越えた。
    ここで皇子が歌を詠んだ。

    ()()()()() ()()()()()()() ()()()()() ()()()()()()() ()()()()()()()

    雄鯽らは逃げられたことを知り、急ぎ追って伊勢の蒋代野(こもしろのの)で殺した。
    時に雄鯽らは皇女の玉を探して、裳の中から見つけて取った。
    そして二王の屍は廬杵河(いおきがわ)のほとりに埋めて復命した。
    皇后が雄鯽らに「もしや皇女の玉を見ていませんか」と問うと、「見ませんでした」と答えた。

    【日本書紀 巻第十一 仁徳天皇四十年二月条】
関連
  • 山部大楯やまべのおおたて古事記で女鳥王(雌鳥皇女)の玉を取り、死罪になる。