吉備武彦

名前
  • 吉備武彥【日本書紀】)吉備武彦
  • 御鉏友耳建日子【古事記】
  • 吉備臣建日子【古事記】
  • 吉備武彥命【新撰姓氏録抄,先代旧事本紀】)吉備武彦命
キーワード
  • 吉備臣(きびのおみ)等之祖【古事記 中巻 景行天皇段】
  • 池田坂井君(いけたのさかいのきみ)【先代旧事本紀 巻第十 国造本紀 盧原国造条】
  • 後裔は左京下道朝臣(しもつみちのあそみ)校異:下道宿禰・右京真髪部(まかみべ)【新撰姓氏録抄 当サイトまとめ】
性別
男性
生年月日
( ~ 景行天皇40年7月16日)
没年月日
(景行天皇40年10月7日 ~ )
  • 稚武彦命わかたけひこのみこと同第五巻右京皇別廬原公条では稚武彦命の孫を吉備武彦命としている。ちなみに同吉備臣条では稚武彦命の孫を御友別命としていて、日本三代実録では御友別は吉備武彦の子としている。【新撰姓氏録抄 第一帙 第二巻 左京皇別上 下道朝臣条】
先祖
  1. 稚武彦命
    1. 孝霊天皇
      1. 孝安天皇
      2. 押媛
    2. 絙某弟
      1. 和知都美命
      2. unknown
  2. unknown
  • 吉備穴戸武媛きびのあなとのたけひめ古事記では大吉備建比売という名の妹として出てくる。【日本書紀 巻第七 景行天皇五十一年八月壬子条】【母:不明】
  • 浦凝別うらこりわけ日本書紀の応神天皇二十二年九月庚寅条に、浦凝別は御友別の兄とあるので、浦凝別は吉備武彦の長男であると判断。【母:不明】
  • 御友別みともわけ二男【日本三代実録 元慶三年十月二十二日戊寅条】【母:不明】
  • 鴨別かものわけ三男【日本三代実録 元慶三年十月二十二日戊寅条】【母:不明】
  • 兄媛えひめ日本書紀の応神天皇二十二年三月丁酉条に、兄媛は御友別の妹とあるので、兄媛は吉備武彦の娘であると判断。【母:不明】
  • 意加部彦命おかべひこのみこと【先代旧事本紀 巻第十 国造本紀 盧原国造条】【母:不明】
出来事
  • 景行天皇40年7月16日

    景行天皇日本武尊の東征に従うよう命じられる。

    【日本書紀 巻第七 景行天皇四十年七月戊戌条】
    • 景行天皇から東方十二国平定の命を受けた倭建命に副えられる。

      【古事記 中巻 景行天皇段】
    • (景行天皇元年7月11日 ~ 景行天皇60年11月7日)

      景行天皇の御世に東方に遣わされて毛人(えみし)及び凶鬼神(あらぶるかみ)を征伐して阿倍廬原国(あべのいおはらのくに)に至った。
      復命した日に廬原国(いおはらのくに)を賜った。

      【新撰姓氏録抄 第一帙 第五巻 右京皇別下 廬原公条】
  • (景行天皇40年10月7日 ~ 景行天皇41年)

    日本武尊の東夷征伐にて、吾嬬国(あずまのくに)日本武尊と分かれて越国に行き、その地形と民の順逆を探った。
    その後、美濃で合流する。
    能褒野(のぼの)に着くと日本武尊は病気がひどくなり、天皇に奏上して「私は天朝の命を承り、遠く東夷を討伐致しました。神恩を被り、皇威に頼りまして、叛く者は罪に伏し、荒ぶる神も自ら従いました。そこで(よろい)を巻き、(ほこ)を納めて、心安らいで帰還致しまして、何れの日、何れの時に復命しようかと思っておりました。しかし天命は忽ちに至り、余命幾ばくも無く、独り荒野に臥しております。誰に語ることも御座いません。身の亡ぶことなど惜しみません。ただ残念なのは、お仕え奉ることが適わなくなることで御座います」と。

    【日本書紀 巻第七 景行天皇四十年是歳条】