大派皇子 名前 大派皇子【日本書紀】(おおまたのみこ, おほまたのみこ) 大派王【日本書紀】(おおまたのみこ, おほまたのみこ) 大俣王【古事記】(おおまたのみこ, おほまたのみこ) キーワード後裔は左京茨田真人(まんたのまひと)【新撰姓氏録抄 当サイトまとめ】 性別男性 生年月日( ~ 舒明天皇8年7月1日) 没年月日(皇極天皇元年12月13日 ~ ) 父敏達天皇(びだつてんのう)【日本書紀 巻第二十 敏達天皇四年正月是月条】 母老女子夫人(おみなごのおおとじ)【日本書紀 巻第二十 敏達天皇四年正月是月条】 先祖 敏達天皇 欽明天皇 継体天皇 手白香皇女 石姫皇女 宣化天皇 橘仲皇女 老女子夫人 春日仲君 出来事 敏達天皇の皇子として生まれる。母は老女子夫人。 【日本書紀 巻第二十 敏達天皇四年正月是月条】 舒明天皇8年7月1日 大派王が豊浦大臣に言うには「群卿及び百寮が参朝することを怠っている。今後は卯の刻の始め卯の刻は午前6時の前後1時間。その始まりは午前5時ころ。に参朝し、巳の刻の後巳の刻は午前10時の前後1時間。その終わりは午前12時ころ。に退朝させよう。これらを鍾で知らせるように」と。 しかし大臣は従わなかった。 【日本書紀 巻第二十三 舒明天皇八年七月己丑朔条】 皇極天皇元年12月13日 皇極天皇が舒明天皇の喪を発した際に、大派皇子の代りに巨勢臣徳太が誄(しのびごと)する。 【日本書紀 巻第二十四 皇極天皇元年十二月甲午条】 関連祖父:敏達天皇(びだつてんのう)【新撰姓氏録抄 第三帙 第三十巻 未定雑姓 左京 茨田真人条】