名前
  • 喙部大舍首智買【日本書紀】(たくほうたさすちばい)喙部大舎首智買
生年月日
( ~ 610年8月24日)
没年月日
(610年11月14日 ~ )
出来事
  • 610年(7月26日 ~ 8月24日)

    新羅の使人沙喙部奈末竹世士と任那の使人喙部大舎首智買が筑紫にやってくる。

    【日本書紀 巻第二十二 推古天皇十八年七月条】
  • 610年(9月23日 ~ 10月22日)

    使いを遣わして新羅・任那の使人を召す。

    【日本書紀 巻第二十二 推古天皇十八年九月条】
  • 610年10月30日

    新羅・任那の使人が(みやこ)に至る。
    この日、額田部連比羅夫に命じて新羅の客を迎える荘馬(かざりうま)の長とし、膳臣大伴を任那の客を迎える荘馬の長とする。
    そして阿斗(あと)の河辺の(むろつみ)に入らせた。

    【日本書紀 巻第二十二 推古天皇十八年十月丙申条】
  • 610年10月31日

    客人が朝庭で拝礼した。

    秦造河勝土部連菟を新羅の導者とし、間人連塩蓋阿閉臣大籠を任那の導者とする。
    共に先導しながら南門から入って中庭に立った。
    この時に大伴咋連蘇我豊浦蝦夷臣坂本糠手臣阿倍鳥子臣は共に坐位から立って庭に伏した。
    両国の客は各々再拝して使いの旨を述べた。
    四大夫は進み出て大臣に伝えた。
    大臣は坐位から立って政庁の前で聞いた。

    諸客は禄を賜った。

    【日本書紀 巻第二十二 推古天皇十八年十月丁酉条】
  • 610年11月8日

    朝廷で饗応を受ける。
    河内漢直贄が新羅の共食者となり、錦織首久僧が任那の共食者となる。

    【日本書紀 巻第二十二 推古天皇十八年十月乙巳条】
  • 610年11月14日

    客人儀礼が終り帰途に就く。

    【日本書紀 巻第二十二 推古天皇十八年十月辛亥条】