小野妹子
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- 名前
- 氏(ウジ):小野【日本書紀,新撰姓氏録抄】(おの, をの)
- 姓(カバネ):臣【日本書紀】(おみ)
- 名:妹子【日本書紀】(いもこ)
- 蘇因高隋での名。【日本書紀】(そいんこう, そいんかう)
- 性別
- 男性
- 生年月日
- ( ~ 推古天皇15年7月3日)
- 没年月日
- (推古天皇17年9月1日 ~ )
- 子
小野毛人 【母:不明】
- 称号・栄典とても広〜い意味です。
- 出来事
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【新撰姓氏録抄 第一帙 第三巻 左京皇別下 小野朝臣条】近江国 の滋賀郡 の小野村 に住んだことにより小野を氏とする。 -
推古天皇15年7月3日
隋に派遣される。
【日本書紀 巻第二十二 推古天皇十五年七月庚戌条】
通事 通訳。は鞍作福利。 -
推古天皇16年4月
隋から帰途に就く。
隋は妹子臣を名付けて蘇因高といった。
【日本書紀 巻第二十二 推古天皇十六年四月条】
妹子臣は隋の使人裴世清・下客 十二人を従えて筑紫に着いた。 -
推古天皇16年6月15日
客は難波津に泊った。
妹子臣が奏上して「私が帰還する時に、唐帝隋の煬帝。は書を私に授けました。しかし百済国を過ぎるときに百済人に探られ掠め取られましたので、これを奉ることが出来ません」と。
【日本書紀 巻第二十二 推古天皇十六年六月丙辰条】
群臣は議って「使人たるもの死んでも任は失わないが、この使人は何を怠って大国の書を失うのか」と言って流刑にしようとした。
天皇は勅して「妹子には書を失った罪はあるが、たやすく罰してはならない。大国の客にも聞こえが良くない」と。
それで赦して罰しなかった。 -
推古天皇16年9月11日
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推古天皇17年9月
隋から帰国する。
【日本書紀 巻第二十二 推古天皇十七年九月条】
通事 通訳。の福利は帰らなかった。
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- 関連
- 先祖:
米餅搗大使主命 【新撰姓氏録抄 第一帙 第三巻 左京皇別下 小野朝臣条】
- 先祖: