五十狭城入彦皇子

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名前
  • 五十狹城入彥皇子【日本書紀】(いさいり)五十狭城入彦皇子
  • 五十狹城入姬皇子校異【日本書紀】(いさいり)五十狭城入姫皇子
  • 五十狹城彥皇子校異【日本書紀】(いさ)五十狭城彦皇子
  • 五十狹城入彥命【先代旧事本紀】(いさいり)五十狭城入彦命
  • 氣入彥命【新撰姓氏録抄】いり)気入彦命
キーワード
  • 三河長谷部直(みかわのはせべのあたい)【先代旧事本紀 巻第七 天皇本紀 景行天皇紀末段】
  • 後裔は左京御使朝臣(みつかいのあそみ)校異:御使宿禰・右京御立史(みたちのふひと)「持統天皇の御代、参河国(みかわのくに)青海郡(あおみのこおり)の御立(みたち)の地に居住したことにより、御立史(みたちのふひと)の姓を賜った」とある。【新撰姓氏録抄 当サイトまとめ】
性別
男性
生年月日
(景行天皇14年1月1日 ~ 応神天皇41年2月15日)
没年月日
(応神天皇元年1月1日 ~ )
  • 景行天皇けいこうてんのう【日本書紀 巻第七 景行天皇四年二月甲子条】
  • 八坂入媛命やさかいりひめのみこと【日本書紀 巻第七 景行天皇四年二月甲子条】
先祖
  1. 景行天皇
    1. 垂仁天皇
      1. 崇神天皇
      2. 御間城姫
    2. 日葉酢媛命
      1. 丹波道主王
      2. 丹波之河上之摩須郎女
  2. 八坂入媛命
    1. 八坂入彦命
      1. 崇神天皇
      2. 尾張大海媛
    2. unknown
出来事
  • (景行天皇14年1月1日 ~ )兄の成務天皇誕生以後。

    景行天皇の皇子として生まれる。母は八坂入媛命

    【日本書紀 巻第七 景行天皇四年二月甲子条】
  • (応神天皇元年 ~ 応神天皇41年2月15日)

    誉田天皇の御世、御室の雑使大王生らは逃げて仕えなかった。
    天皇は使いを遣わして探させたが、みな復命しなかった。
    そこで気入彦命は詔を承り、参河国(みかわのくに)まで追って捕えて帰還した。
    天皇は使命を果したことを褒めて御使連(みつかいのむらじ)の姓を賜った。

    【新撰姓氏録抄 第一帙 第二巻 左京皇別上 御使朝臣条】
    • 本社祭神五十狭城入彦皇子は気入彦命とも申す。
      人皇十二代景行天皇の皇子にして勅を奉じて三河国に至り大任主等を討って最初に此の地方を治め給う。
      後遂に此の地に薨去ましまして和志山の地に陵墓を定め給ひ、神霊を祀りて和志取神社と称す。

      其の子孫永く此の地方に栄えませしかば西三河地方の多くの人は命の御血縁につながるが故に本神社は当地方の大氏神なり。

      【和志取神社由緒】
    • 五十狭城入彦皇子は気入彦命とも申し、景行天皇の皇子で、勅命によりこの地方の逆臣大王主等を捕え、これより国内治まり庶民大いに安堵したという。

      御墓は当町字和志山にある。

      【和志取神社社記】