大王生 名前 大王生【新撰姓氏録抄】 大任主【和志取神社由緒】 大王主【和志取神社社記】 生年月日( ~ 応神天皇41年2月15日) 没年月日(応神天皇元年1月1日 ~ ) 出来事 (応神天皇元年 ~ 応神天皇41年2月15日) 誉田天皇の御世、御室の雑使大王生らは逃げて仕えなかった。天皇は使いを遣わして探させたが、みな復命しなかった。そこで気入彦命は詔を承り、参河国(みかわのくに)まで追って捕えて帰還した。 【新撰姓氏録抄 第一帙 第二巻 左京皇別上 御使朝臣条】 本社祭神五十狭城入彦皇子は気入彦命とも申す。 人皇十二代景行天皇の皇子にして勅を奉じて三河国に至り大任主等を討って最初に此の地方を治め給う。 【和志取神社由緒】 五十狭城入彦皇子は気入彦命とも申し、景行天皇の皇子で、勅命によりこの地方の逆臣大王主等を捕え、これより国内治まり庶民大いに安堵したという。 【和志取神社社記】