日下部吾田彦

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名前
  • 氏(ウジ):日下部(くさか
  • 姓(カバネ):連(むらじ)連
  • 名:吾田彥【日本書紀】(あた)吾田彦
  • 日下部使主くさかべのおみ【日本書紀 巻第十五 顕宗天皇即位前紀 安康天皇三年十月条】
先祖
  1. 日下部使主
出来事
  • 天皇後の顕宗天皇。の父の市辺押磐皇子帳内(とねり)佐伯部仲子蚊屋野(かやの)大泊瀬天皇に殺されて共に穴に埋められた。
    天皇と億計王は父が殺されたことを聞いて恐懼し、共に逃げて身を隠した。

    帳内の日下部連使主とその子の吾田彦は、天皇と億計王を密かに連れて丹波国(たにわのくに)余社郡(よさのこおり)で難を避けた。
    使主は遂に名を改めて田疾来とした。
    尚も殺されることを恐れて、ここから播磨国の縮見山(しじみのやま)の石室に逃れ入って自ら経死した。
    天皇は使主の所在を知らずに兄の億計王に勧めて、播磨国の赤石郡(あかしのこおり)に向い、共に名を改めて丹波小子(たにわのわらわ)といった。
    そして縮見屯倉首に仕えた。縮見屯倉首とは忍海部造細目のことである。
    吾田彦はここに至るまで離れずに従い仕えた。

    【日本書紀 巻第十五 顕宗天皇即位前紀 安康天皇三年十月条】