川内王 名前 川內王【日本書紀】(かわちのおおきみ, かふちのおほきみ)川内王 河內王【日本書紀】(かわちのおおきみ, かふちのおほきみ)河内王 生年月日( ~ 天武天皇15年1月29日) 没年月日(持統天皇6年閏5月15日 ~ 持統天皇8年4月5日) 称号・栄典とても広〜い意味です。浄広肆(じょうこうし)【日本書紀 巻第二十九 朱鳥元年正月是月条】筑紫大宰帥(つくしのおおみこともち)【日本書紀 巻第三十 持統天皇三年潤八月丁丑条】贈:浄大肆(じょうだいし)【日本書紀 巻第三十 持統天皇八年四月戊午条】 出来事 朱鳥元年1月 大伴安摩呂・藤原大島・堺部鯯魚・穂積虫摩呂らと共に筑紫に行き、新羅の金智祥に饗応するよう天武天皇から命じられる。 【日本書紀 巻第二十九 朱鳥元年正月是月条】 天武天皇が崩御する。 【日本書紀 巻第二十九 朱鳥元年九月丙午条】 朱鳥元年9月27日 左右の大舎人の事を誄(しのびごと)する。 【日本書紀 巻第二十九 朱鳥元年九月甲子条】 持統天皇3年閏8月27日 筑紫大宰帥に任命され、武器を授かり、物を賜る。 【日本書紀 巻第三十 持統天皇三年潤八月丁丑条】 持統天皇4年10月15日 詔して「新羅の送使大奈末金高訓らの饗応は、学生土師宿禰甥らを送ってきた送使の例に准ぜよ。その慰労と賜物は詔書に依る」との命令を受ける。 【日本書紀 巻第三十 持統天皇四年十月戊午条】 持統天皇6年閏5月15日日干支を乙酉としているが、この月に乙酉は無いので、己酉に改めた。 筑紫大宰率河内王らに詔して「沙門を大隅と阿多に遣わして仏教を伝えよ。また大唐の大使郭務悰が御近江大津宮天皇の為に造った阿弥陀像を京に送れ」と。 【日本書紀 巻第三十 持統天皇六年潤五月乙酉条】 持統天皇8年4月5日 浄大肆を追贈され、あわせて賻物を賜る。 【日本書紀 巻第三十 持統天皇八年四月戊午条】