物部日向

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名前
  • 氏(ウジ):物部【日本書紀,新撰姓氏録抄】(も
  • 姓(カバネ):首【日本書紀,新撰姓氏録抄】(おびと)
  • 氏(ウジ):布瑠【新撰姓氏録抄】(ふる)
  • 姓(カバネ):宿禰【新撰姓氏録抄】(すくね)
  • 名:日向【日本書紀,新撰姓氏録抄】むか)
キーワード
  • 正五位上【新撰姓氏録抄 第一帙 第七巻 大和国皇別 布留宿禰条】
性別
男性
生年月日
( ~ 天武天皇元年6月26日)
没年月日
(天武天皇2年2月27日 ~ )
  • 武蔵臣むざしのおみ【新撰姓氏録抄 第一帙 第七巻 大和国皇別 布留宿禰条】
先祖
  1. 武蔵臣
出来事
  • 天武天皇元年6月26日

    大海人皇子の挙兵を知った大友皇子穂積臣百足及び弟の百枝・物部首日向を倭京(やまとのみやこ)飛鳥。に遣わした。

    【日本書紀 巻第二十八 天武天皇元年六月丙戌条】
  • 天武天皇元年6月29日

    留守司高坂王と挙兵の使者穂積臣百足らは飛鳥寺の西の槻の下に軍営を構えていた。
    ただし百足だけは小墾田(おはりだ)の武器庫にいて兵を近江に運ぼうとしていた。
    この時に軍営の中の兵は「高市皇子が不破から来られた。軍勢が多く従っているぞ」という叫び声を聞いて悉く散り逃げた。

    穂積臣五百枝・物部首日向は大伴吹負に捕えられたが、しばらくすると許されて軍中に置かれた。

    【日本書紀 巻第二十八 天武天皇元年六月己丑条】
  • (天武天皇2年2月27日 ~ 天武天皇15年7月20日)

    天武天皇の御世、布都努斯神社(ふつぬしのかみのやしろ)。石上(いそのかみ)の御布瑠村(みふるのむら)にある。の地名に依り布瑠宿禰(ふるのすくね)の姓に改めた。

    【新撰姓氏録抄 第一帙 第七巻 大和国皇別 布留宿禰条】
関連
  • 三世孫:布瑠邑智ふるのおおち【新撰姓氏録抄 第一帙 第七巻 大和国皇別 布留宿禰条】
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