武蔵臣 名前 武藏臣【新撰姓氏録抄】(むざしのおみ)武蔵臣 氏(ウジ):物部【新撰姓氏録抄】(もののべ) 姓(カバネ):首【新撰姓氏録抄】(おびと) 氏(ウジ):神主【新撰姓氏録抄】(かんぬし, かむぬし)神主 姓(カバネ):首【新撰姓氏録抄】(おびと) 生年月日( ~ 孝徳天皇元年6月14日) 没年月日(皇極天皇元年1月15日 ~ ) 子物部日向(もののべのひむか)【新撰姓氏録抄 第一帙 第七巻 大和国皇別 布留宿禰条】【母:不明】 出来事 (皇極天皇元年1月15日 ~ 孝徳天皇元年6月14日) 斎明天皇の御世正確には皇極年間であろう。、宗我蝦夷大臣は武蔵臣を物部首(もののべのおびと)・神主首(かんぬしのおびと)と名付けた。 これにより臣の姓を失って物部首となった。 【新撰姓氏録抄 第一帙 第七巻 大和国皇別 布留宿禰条】 馬子宿禰の男子蝦夷宿禰の家は葛城県(かずらきのあがた)の豊浦里(とゆらのさと)にあった。それで名を豊浦大臣という。 また家に兵器を多く貯めていたので俗に武蔵大臣という。 母は物部守屋大連(または弓削大連という)の妹、名は太媛という。 守屋大連の家が亡んだ後、太媛は石上神宮の斎神の頭となった。 そこで蝦夷大臣は物部族の神主家らを下僕として物部首(もののべのおびと)といった。または神主首(かんぬしのおびと)という。 【紀氏家牒逸文】 関連四世祖:市川臣(いちかわのおみ)【新撰姓氏録抄 第一帙 第七巻 大和国皇別 布留宿禰条】物部大臣(もののべのおおおみ)蘇我倉麻呂(そがのくらまろ)蘇我日向(そがのひむか)