天武天皇元年6月26日
大海人皇子の挙兵を知った大友皇子が穂積臣百足及び弟の百枝・物部首日向を倭京(やまとのみやこ)に遣わす。
天武天皇元年6月29日
留守司高坂王と挙兵の使者穂積臣百足らは飛鳥寺の西の槻の下に軍営を構えていた。 ただし百足だけは小墾田(おはりだ)の武器庫にいて兵を近江に運ぼうとしていた。
穂積臣百足は高市皇子で小墾田の武器庫に呼ばれた。
百足は馬に乗ってゆっくり現れた。 飛鳥寺の西の槻の下に着いた頃、ある人が「馬から降りろ」と言った。百足はぐずぐずしていた。 すると百足の襟を取って引き落し、弓で一矢射た。そして刀を抜いて斬り殺した。