穂積百足 名前 氏(ウジ):穗積【日本書紀】(ほづみ)穂積 姓(カバネ):臣【日本書紀】(おみ) 名:百足【日本書紀】(ももたり) 生年月日( ~ 天武天皇元年6月26日) 没年月日天武天皇元年6月29日 出来事 天武天皇元年6月26日 大海人皇子の挙兵を知った大友皇子が穂積臣百足及び弟の百枝・物部首日向を倭京(やまとのみやこ)飛鳥。に遣わす。 【日本書紀 巻第二十八 天武天皇元年六月丙戌条】 天武天皇元年6月29日 留守司高坂王と挙兵の使者穂積臣百足らは飛鳥寺の西の槻の下に軍営を構えていた。 ただし百足だけは小墾田(おはりだ)の武器庫にいて兵を近江に運ぼうとしていた。 穂積臣百足は高市皇子実際は高市皇子の命令ではなく大伴吹負の謀略。の命令で小墾田の武器庫に呼ばれた。 百足は馬に乗ってゆっくり現れた。 飛鳥寺の西の槻の下に着いた頃、ある人が「馬から降りろ」と言った。百足はぐずぐずしていた。 すると百足の襟を取って引き落し、弓で一矢射た。そして刀を抜いて斬り殺した。 【日本書紀 巻第二十八 天武天皇元年六月己丑条】 関連弟:穂積五百枝(ほづみのいおえ)(穂積百枝(ほづみのももえ))【日本書紀 巻第二十八 天武天皇元年六月丙戌条】