聖明王は欽明天皇の任那再建の催促を受け、群臣に策を講じるよう命じた。
この時に上佐平沙宅己婁・徳率東城道天・徳率木刕眯淳・徳率国雖多・奈率燕比善那らと議って言うには「我らの人となりが愚闇で智略もございません。任那再建の詔勅を速やかに承るべきでございます。いま任那の執事・国々の旱岐らを呼んで共に謀し、意見を具申して志を表しましょう。また河内直・移那斯・麻都らが猶も安羅にいるならば任那再建は難しいでしょう。それで併せて上表して、本国へ戻して頂きましょう」と。
【日本書紀 巻第十九 欽明天皇四年十二月条】