名前
  • 前部德率眞慕宣文【日本書紀】(ぜんほうとくそつしんもせんもん, ぜんほうとくそちしんもせんもん)前部徳率真慕宣文
  • 德率宣文【日本書紀】(とくそつせんもん, とくそちせんもん)徳率宣文
  • 奈率宣文【日本書紀】(なそちせんもん)
生年月日
( ~ 541年9月5日)
没年月日
(548年1月28日 ~ )
出来事
  • 541年(8月8日 ~ 9月5日)

    百済は安羅の日本府と新羅が通じていることを聞いて、前部奈率鼻利莫古・奈率宣文・中部奈率木刕眯淳紀臣奈率弥麻沙「紀臣奈率とは、おそらく紀臣が韓の女を娶って生まれ、百済に留まって奈率となったのであり、その父は詳らかではない。他も皆これにならう」とある。らを安羅に遣わして、新羅に行った任那の執事を呼んで任那の再建を図らせた。

    【日本書紀 巻第十九 欽明天皇二年七月条】
  • 547年(5月5日 ~ 6月3日)

    奈率奇麻と共に百済の使者として欽明天皇に援軍を乞う。

    【日本書紀 巻第十九 欽明天皇八年四月条】
  • 548年1月28日

    帰国を申し出る。
    欽明天皇が詔して「要請のあった援軍は必ず派遣する。速やかに王へ報告せよ」と。

    【日本書紀 巻第十九 欽明天皇九年正月乙未条】