541年(8月8日 ~ 9月5日)
百済は安羅の日本府と新羅が通じていることを聞いて、前部(ぜんほう)奈率鼻利莫古・奈率宣文・中部(ちゅうほう)奈率木刕眯淳・紀臣奈率弥麻沙らを安羅に遣わして、新羅に行った任那の執事を呼んで任那の再建を図らせた。
547年(5月5日 ~ 6月3日)
奈率奇麻らと共に百済の使者として欽明天皇に援軍を乞う。
548年1月28日
帰国を申し出る。 欽明天皇が詔して「要請のあった援軍は必ず派遣する。速やかに王へ報告せよ」と。