名前
  • 紀臣奈率彌麻沙【日本書紀】(きのおみなそつみまさ, きのおみなそちみまさ)紀臣奈率弥麻沙
  • 彌麻沙【日本書紀】(みまさ)弥麻沙
  • 奈率彌麻沙【日本書紀】(なそつみまさ, なそちみまさ)奈率弥麻沙
  • 奈率彌麻佐【日本書紀】(なそつみまさ, なそちみまさ)奈率弥麻佐
生年月日
( ~ 541年9月5日)
没年月日
(546年2月18日 ~ )
出来事
  • 541年(8月8日 ~ 9月5日)

    百済は安羅の日本府と新羅が通じていることを聞いて、前部奈率鼻利莫古奈率宣文中部奈率木刕眯淳紀臣奈率弥麻沙「紀臣奈率とは、おそらく紀臣が韓の女を娶って生まれ、百済に留まって奈率となったのであり、その父は詳らかではない。他も皆これにならう」とある。らを安羅に遣わして、新羅に行った任那の執事を呼んで任那の再建を図らせた。

    【日本書紀 巻第十九 欽明天皇二年七月条】
  • 541年(8月8日 ~ 9月5日)同年七月条が二つあるため、この年を翌年の三年とする説もある。諸本に異文無し。

    百済が紀臣奈率弥麻沙・中部奈率己連を遣わして下韓(あるしからくに)任那(みまな)の政を奏上し、併せて上表文を奉った。

    【日本書紀 巻第十九 欽明天皇二年七月条】
  • 543年(5月19日 ~ 6月17日)

    百済に帰国する。

    【日本書紀 巻第十九 欽明天皇四年四月条】
  • ( ~ 544年5月7日)

    奈率己連らと共に己麻奴跪に副えられ、欽明天皇に上表して詔を受ける。

    【日本書紀 巻第十九 欽明天皇五年三月条】
  • 546年2月18日

    良馬七十匹・船一十隻を賜り帰国する。

    本文には「百済の使人中部奈率己連ら」とある。
    【日本書紀 巻第十九 欽明天皇七年正月丙午条】