名前
  • 佐魯麻都【日本書紀】(さろまつ)佐魯麻都
  • 麻都【日本書紀】(まつ)麻都
生年月日
( ~ 544年5月7日)
没年月日
(544年4月8日 ~ )
出来事
  • 百済は安羅の日本府の加不至費直阿賢移那斯・佐魯麻都らが新羅に通じたことを深く責めた。

    【日本書紀 巻第十九 欽明天皇二年七月条 百済本記云】
  • 544年(4月8日 ~ 5月7日)

    百済奈率阿乇得文許勢奈率奇麻物部奈率奇非らを遣わして上表するには「奈率弥麻沙奈率己連らが我が国に戻り、詔書を読み上げて『お前たちはそこにある日本府と共に良い謀りごとを立て、速やかに任那を建てよ。お前はそれを戒めて他に欺かれてはならない』と言いました。また津守連らが我が国に来て、勅書を読み上げて任那の再建を問いました。慎んで勅を承り、早速共に謀りごとを立てようと思いました。それで使いを遣わして日本府「百済本記に云うには、烏胡跛臣を召したという。これは的臣のことであろう」とある。と任那を呼びました。共に『新年となりましたので同四年十二月是月条では新年間近を理由にしている。、時期が過ぎてから参上したいと思います』と答えて久しく来ません。それでまた使いを遣わして呼ぶと、共に『祭りの時期なので、これが過ぎてから参上したいと思います』と答えて久しく来ません。また使いを遣わして呼ぶと、身分の低い者を遣わしてきたので相談出来ませんでした。任那が呼ぶのに来ないのは本意ではないのです。これは阿賢移那斯・佐魯麻都の奸佞がするところなのです。任那は安羅を兄として、その意に従います。安羅の人は日本府を父として、その意に従うのです「百済本記に云うには、安羅を以って父とし、日本府を以って本とする」とある。安羅は当時の日本府の所在地。。いま的臣吉備臣河内直らは移那斯・麻都の指揮に従うのみです。移那斯・麻都は卑しい家の出身ですが、専ら日本府の政治をほしいままにしています。また任那を制して使いを遣わすことを邪魔しました。これにより相談して天皇にお答え奉ることが出来ませんでした。それで己麻奴跪「これは津守連(つもりのむらじ)か」とある。を留め、別に疾きこと飛ぶ鳥の如き使いを遣わして天皇に申し上げ奉ります。もし二人「二人とは移那斯と麻都である」とある。の使いが安羅にて奸佞を多く行えば、任那の再建は難しく、海西(わたのにし)の諸国朝鮮諸国を指す。がお仕えるすることは出来ません。伏して願うことは、この二人を本のところへ還すことです。勅して日本府と任那を諭し、任那再建を図り、奈率弥麻沙奈率己連らを遣わし、己麻奴跪に副えて上表奉りました。そこで詔があり、『的臣「"ら"とは吉備弟君臣・河内直らである」とある。が新羅を往来することは朕の心ではない。昔、印支弥「未詳」とある。阿鹵(あろ)の旱岐がいた時に、新羅の為に圧迫されて耕作出来なかった。百済は遠く離れているので急を救うことが出来なかった。的臣らが新羅を往来するようになり、耕作することが出来るようになったと朕は以前に聞いている。もし任那再建がすれば移那斯・麻都が自然と退くことは言うまでもない』と仰せになりました。伏してこの詔を承り、喜びと恐れが心中に去来しました。そして新羅と朝廷の通謀は天皇の御命令ではないことを知りました。新羅は春に㖨淳(とくじゅん)を取り、そして我が久礼山(くれむれ)の守備兵を追い出し、遂に占有しました。安羅に近い所は安羅が耕作しています。久礼山に近い所は新羅が耕作しています。各々が奪い合いうことはありませんでした。しかし移那斯・麻都は境界を越えて耕作して六月に逃げ去りました。印支弥の後に来た許勢臣の時「百済本記に云うには、我が印支弥を留めた後に既酒臣が至る時という。未だ詳らかではない」とある。には新羅が境界を侵略することは無くなりました。安羅も新羅に圧迫されて耕作できないと言ったことはありません。私がかつて聞いた話では、新羅は毎年多くの兵を集めて安羅と荷山(のむれ)を襲おうとしているといいます。あるいは加羅を襲おうとしていたと聞きました。この頃情報を得たので将士を遣わして任那を守ることは怠ることがありません。しきりに精鋭兵を送り、時に応じて救っています。それで任那は季節に従った耕作ができています。新羅も敢えて侵略はしてきません。しかし百済は遠く離れていて急を救うことができず、的臣らが新羅を往来して耕作することができたと申すのは、天朝を欺き、奸佞と成り下がったということです。このような明白なことでさえ天朝を欺くのですから、他にも偽りが多くあるでしょう。的臣らが猶も安羅に留まれば、任那の国は恐らく復興が難しいでしょう。早くに退けて頂きたい。私が深く恐れることは、佐魯麻都は母が(から)の人でありながら大連日本の大連とは別物であろう。の位についています。日本の執事と交って繁栄を楽しむ仲間に入っています。しかし今は翻って新羅の奈麻礼(なまれ)の冠をつけています。心の従うところなど他からもはっきり分ります。よくよく所作を見ると全く恐れることがありません。以前にその悪行は奏上致しました。今も他所の服を着て日々新羅の地に行くこと公私にわたって全く憚ることはありません。喙国(とくのくに)が滅んだのは他でもありません。喙国の函跛旱岐が加羅国に二心があって新羅に内応したので、加羅は外から戦うことになりました。これが滅んだ理由です。もし函跛旱岐が内応しなければ、喙国は小国といえども滅ぶことはなかったでしょう。卓淳(とくじゅん)に至ってもまた然り。仮に卓淳の国主が新羅に内応して仇を招かなければ、どうして滅ぶことになりましょうか。諸国の敗亡の禍いを鑑みるに、皆内応する二心がある者によるのです。いま麻都らは新羅に恭順し、その服を着ては朝夕通って密かに姧心を懐いています。恐れることは任那がこれにより永久に滅んでしまうことです。任那がもし滅べば我が国国も危うくなります。朝貢しようと思ってもどうして出来ましょうか。伏してお願いすることは、天皇が遥か遠くをご覧になり、速やかに本の所へ移して任那を安らかにして頂くことです」と。

    【日本書紀 巻第十九 欽明天皇五年三月条】