東城道天 名前 東城道天【日本書紀】(とうじょうどうてん, とうじゃうだうてん)東城道天 生年月日( ~ 544年2月8日) 没年月日(544年1月11日 ~ ) 称号・栄典とても広〜い意味です。徳率(とくそつ)【日本書紀 巻第十九 欽明天皇四年十二月条】 出来事 544年(1月11日 ~ 2月8日) 聖明王は欽明天皇の任那再建の催促を受け、群臣に策を講じるよう命じた。 この時に上佐平沙宅己婁・徳率鼻利莫古・徳率木刕眯淳・徳率国雖多・奈率燕比善那らと議って言うには「我らの人となりが愚闇で智略もございません。任那再建の詔勅を速やかに承るべきでございます。いま任那の執事(つかさ)・国々の旱岐(かんき)らを呼んで共に謀し、意見を具申して志を表しましょう。また河内直・移那斯・麻都らが猶も安羅(あら)にいるならば任那再建は難しいでしょう。それで併せて上表して、本国へ戻して頂きましょう」と。 【日本書紀 巻第十九 欽明天皇四年十二月条】