544年(1月11日 ~ 2月8日)
聖明王は欽明天皇の任那再建の催促を受け、群臣に策を講じるよう命じた。 この時に上佐平沙宅己婁・徳率鼻利莫古・徳率木刕眯淳・徳率国雖多・奈率燕比善那らと議って言うには「我らの人となりが愚闇で智略もございません。任那再建の詔勅を速やかに承るべきでございます。いま任那の執事(つかさ)・国々の旱岐(かんき)らを呼んで共に謀し、意見を具申して志を表しましょう。また河内直・移那斯・麻都らが猶も安羅(あら)にいるならば任那再建は難しいでしょう。それで併せて上表して、本国へ戻して頂きましょう」と。