難波根子武振熊

名前
  • 難波根子武振熊【日本書紀】(なにわねこたけふるくま, なにはねふるくま)難波根子武振熊
  • 武振熊【日本書紀】(たふるくま)
  • 難波根子建振熊命【古事記】(なにわねこたけふるくまのみこと, なにはねふるくま)難波根子建振熊命
  • 建振熊命【古事記】(たふるくま
キーワード
  • 和珥臣(わにのおみ)【日本書紀 巻第九 神功皇后摂政元年三月庚子条】
  • 丸邇臣(わにのおみ)之祖【古事記 中巻 仲哀天皇段】
生年月日
( ~ 神功皇后摂政元年3月5日)
没年月日
(仁徳天皇65年1月1日 ~ )
出来事
  • 神功皇后摂政元年3月5日

    神功皇后に命じられて、武内宿禰と共に忍熊王を討つ。

    【日本書紀 巻第九 神功皇后摂政元年三月庚子条】
    • 忍熊王伊佐比宿禰を将軍とした。
      太子の方では難波根子建振熊命を将軍とした。
      そして追い退けて山代(やましろ)に至った時に立ち直って、それぞれ退かずに相戦った。
      建振熊命は計略をめぐらし、「息長帯日売命は既にお隠れになられてしまわれた。更に戦うことはない」と言うと、ただちに弓弦を絶ち、欺いて帰服した。
      その将軍は詐りを信じ、弓を外して武器を収めた。
      そこで束ねた髪の中から用意していた弦(あるいは、うさゆづる宇佐由豆留ともいう)を出して、更に張って追撃した。
      それで逢坂(おうさか)まで逃げ退いて、また向い立って戦った。
      追い迫って沙沙那美(ささなみ)で破り、その軍の悉くを斬った。

      【古事記 中巻 仲哀天皇段】
  • 仁徳天皇65年

    飛騨国に宿儺という人がいた。
    その体は一つで顔は二つあった。顔は背いて、てっぺんは合わさって(うなじ)は無かった。
    それぞれ手足があり、膝はあるが(ひかがみ)は無かった。
    力が強く身軽で、左右に剣を佩き、四つの手で弓矢を用いた。
    皇命には従わず、人民から略奪することを楽しんだ。
    そこで仁徳天皇は難波根子武振熊を遣わして殺させた。

    【日本書紀 巻第十一 仁徳天皇六十五年条】
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