宅部皇子 名前 宅部皇子【日本書紀】(やかべのみこ) 性別男性 生年月日( ~ 用明天皇2年6月7日) 没年月日用明天皇2年6月8日 父宣化天皇(せんかてんのう)【日本書紀 巻第二十一 崇峻天皇即位前紀 用明天皇二年六月辛亥条】 先祖 宣化天皇 継体天皇 彦主人王 振媛 目子媛 尾張草香 unknown 子上女王(かみつひめのおおきみ)【日本書紀 巻第二十一 崇峻天皇即位前紀 用明天皇二年六月辛亥条】【母:不明】 出来事 用明天皇2年6月7日 蘇我馬子宿禰らが炊屋姫尊後の推古天皇。を奉じて、佐伯連丹経手・土師連磐村・的臣真噛に詔して「汝らは兵を整え、速やかに穴穂部皇子と宅部皇子を誅殺せよ」と。 この日の夜半、佐伯連丹経手らは穴穂部皇子の宮を囲んだ。 兵士はまず楼(たかどの)の上に登って穴穂部皇子の肩を撃った。 皇子は楼の下に落ちて、そばの部屋に走り入った。 兵士らは灯火を挙げ誅殺した。 【日本書紀 巻第二十一 崇峻天皇即位前紀 用明天皇二年六月庚戌条】 用明天皇2年6月8日 誅殺される。 穴穂部皇子と仲が良かったために誅されたとある。【日本書紀 巻第二十一 崇峻天皇即位前紀 用明天皇二年六月辛亥条】