用明天皇2年6月7日
蘇我馬子宿禰らが炊屋姫尊を奉じて、佐伯連丹経手・土師連磐村・的臣真噛に詔して「汝らは兵を整え、速やかに穴穂部皇子と宅部皇子を誅殺せよ」と。
この日の夜半、佐伯連丹経手らは穴穂部皇子の宮を囲んだ。
兵士はまず楼(たかどの)の上に登って穴穂部皇子の肩を撃った。 皇子は楼の下に落ちて、そばの部屋に走り入った。 兵士らは灯火を挙げ誅殺した。
用明天皇2年6月8日
誅殺される。