振媛 名前 振媛【日本書紀】(ふりひめ) 振姬【釈日本紀】(ふりひめ)振姫 布利比彌命【釈日本紀】(ふりひみのみこと)布利比弥命 性別女性 生年月日( ~ 継体天皇元年2月4日) 没年月日(継体天皇元年2月4日 ~ 宣化天皇4年12月5日) 父乎波智君(おはちのきみ)【釈日本紀 巻十三 述義九 第十七 男大迹天皇条 上宮記曰 一云】 母阿那爾比弥(あなにひみ)【釈日本紀 巻十三 述義九 第十七 男大迹天皇条 上宮記曰 一云】 先祖 乎波智君 阿加波智君 麻和加介 阿那爾比弥 配偶者彦主人王(ひこうしのみこ)【釈日本紀 巻十三 述義九 第十七 男大迹天皇条】 子男大迹王(おおどのみこ)(継体天皇(けいたいてんのう))【日本書紀 巻第十七 継体天皇即位前紀】【父:彦主人王(ひこうしのみこ)】 出来事 彦主人王は振媛の容姿が甚だ端麗であることを聞いて、近江国の高島郡(たかしまのこおり)の三尾(みお)の別邸から使いを遣わして三国(みくに)の坂中井(さかない)中。此云那。に迎えて召し入れて妃とした。そして天皇継体天皇が産まれた。 天皇が幼年の頃に父王は薨じた。 【日本書紀 巻第十七 継体天皇即位前紀】 継体天皇元年2月4日 男大迹王の即位に伴い、皇太夫人媛校異:皇太夫人となる。 【先代旧事本紀 巻第九 帝皇本紀 継体天皇元年二月甲午条】 宣化天皇4年12月5日 追贈太皇太后。 「皇太后に追贈して太皇太后とする」とあるが、皇太夫人媛である振媛を指すと判断。【先代旧事本紀 巻第九 帝皇本紀 欽明天皇即位前紀 宣化天皇四年十二月甲申条】