大伴談

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名前
  • 氏(ウジ):大伴【日本書紀】(おおとも, おほも)
  • 姓(カバネ):連【日本書紀】(むらじ)連
  • 名:談【日本書紀】かたり談。此云箇陀利。
  • 名:語【新撰姓氏録抄】(かたり)
キーワード
  • 後裔は右京佐伯日奉造(さえきのひまつりのみやつこ)【新撰姓氏録抄 当サイトまとめ】
生年月日
( ~ 雄略天皇23年8月7日)
没年月日
雄略天皇9年3月
出来事
  • (安康天皇3年11月13日 ~ 雄略天皇23年8月7日)

    雄略天皇の御世に天靱負:あめのゆげい校異:入部靱負を以って大連公(おおむらじきみ)を賜った。
    奏上して「門を衛り開閉する務めは職としてすでに重く、一身では難しい務めでございます。願わくは愚児語と共に左右を衛り奉りたいと存じます」と。
    勅して奏上のままにした。
    これは大伴・佐伯の二氏が左右の開闔を掌る縁である。

    【新撰姓氏録抄 第二帙 第十二巻 左京神別中 天神 大伴宿禰条】
  • 雄略天皇9年3月

    雄略天皇紀小弓宿禰蘇我韓子宿禰・大伴談連・小鹿火宿禰らに勅して「新羅は西の国にあって世を重ねて臣を称した。朝聘を違えることはなく、貢物も適当だった。朕が天下の王になってからは対馬の外に身を置き、跡を匝羅(さわら)朝鮮の地名。に隠して高麗の貢物を阻んで百済の城を呑み込んだ。また朝聘を欠いて貢物を納めることもない。狼の子のように野心があり、飽きては去り、飢えては近づく。お前たち四卿を大将に任ずる。軍を以って征伐して天罰を加えよ」と。

    紀小弓宿禰らは新羅に入って行く先々の郡を占領した。
    新羅王は夜に四方から皇軍の鼓の音を聞いて(とく)の地を全て占領されていることを知り、数百の騎兵と共に逃げ乱れて大敗した。
    小弓宿禰は追撃して敵将を陣中で斬った。
    喙の地は平定したが残兵は降伏しなかった。
    紀小弓宿禰は兵を収めて大伴談連らと合流した。また兵を整えて残兵と戦った。

    夕刻、大伴談連と紀岡前来目連は力闘して死んだ。
    談連の従者で同姓の津麻呂はその後、軍中に入って主を探した。
    しかし軍中には見えず、「我が主の大伴公は何処においででしょうか」と尋ねた。
    ある人が「お前の主は敵の手によって殺された」と告げて屍の処を指し示した。
    津麻呂はこれを聞くと足を踏みならして叫び、「主は既に死んでしまった。何のために独りで生きなければならないのか」と言うと敵中に入って死んだ。

    しばらくして残兵は自ずと退いた。皇軍もまた退いた。

    【日本書紀 巻第十四 雄略天皇九年三月条】
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