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- 名前
- 武烈王(ぶれつおう)
- 金春秋(きんしゅんじゅう)
- 大阿滄金春秋大阿滄は大阿飡の誤り。【日本書紀】
- 春秋智【日本書紀】(しゅんじゅうち)
- 性別
- 男性
- 生年月日
- ( ~ 648年1月29日)
- 没年月日
- (660年8月12日 ~ )
- 出来事
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(647年2月10日 ~ 648年1月29日)
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660年(8月12日 ~ 9月9日)
高麗の沙門道顕の日本世記に曰く、七月云々、春秋智は大将軍蘇定方の手を借りて百済を挟み撃ちにして亡ぼした。
或いは曰く、百済は自ら亡んだ。君の大夫人が妖女かつ無道であり、ほしいままに国権を奪って、賢良の士を誅殺したことにより禍を招いた。慎まなければならない。慎まなければならない。
その注に云うには、新羅の春秋智は、内臣蓋金に願いを入れられなかった。また唐に使いして、自国の衣冠を捨てて天子に媚びた。禍を隣国に投げる意図を構えた。
【日本書紀 巻第二十六 斉明天皇六年七月乙卯条 日本世記曰】-
660年8月21日
七月十日に大唐の蘇定方が船軍を率いて
【日本書紀 巻第二十六 斉明天皇六年九月癸卯条 或本云】尾資 の津に陣取った。
新羅王春秋智は兵馬を率いて怒受利 の山に陣取った。
百済を挟撃して戦うこと三日、我が王城は陥落した。
同月十三日に王城は破れた。
怒受利の山は百済の東の境である。
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