淵蓋蘇文

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名前
  • 淵蓋蘇文(えんがいそぶん)
  • 伊梨柯須彌【日本書紀】(いりかすみ)伊梨柯須弥
  • 蓋金【日本書紀】(がいきん)
  • 泉男生せんだんせい【母:不明】
出来事
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    • 641年(10月10日 ~ 11月8日)和暦の九月で入力してるが、高句麗暦での九月と思われる。

      高麗(こま)の使人が貢献を終えて言うには「去年六月に弟王子が薨じました。秋九月に大臣伊梨柯須弥が大王を殺し、一緒に伊梨渠世斯ら百八十余人を殺しました。そして弟王子の子を王とし、自分と同姓の都須流金流を大臣としました」と。

      【日本書紀 巻第二十四 皇極天皇元年二月丁未条】
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    • 660年(8月12日 ~ 9月9日)

      高麗の沙門道顕の日本世記に曰く、七月云々、春秋智は大将軍蘇定方の手を借りて百済を挟み撃ちにして亡ぼした。

      或いは曰く、百済は自ら亡んだ。君の大夫人が妖女かつ無道であり、ほしいままに国権を奪って、賢良の士を誅殺したことにより禍を招いた。慎まなければならない。慎まなければならない。

      その注に云うには、新羅の春秋智は、内臣蓋金に願いを入れられなかった。また唐に使いして、自国の衣冠を捨てて天子に媚びた。禍を隣国に投げる意図を構えた。

      【日本書紀 巻第二十六 斉明天皇六年七月乙卯条 日本世記曰】
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    • 664年(10月25日 ~ 11月23日)

      高麗の大臣蓋金がその国で亡くなった。
      子供らに遺言して「お前たち兄弟は魚と水のように同調し、爵位を争うことがないようにせよ。もしそうでなければ必ず隣国に笑われる」と。

      【日本書紀 巻第二十七 天智天皇三年十月是月条】