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天武天皇元年6月24日
吉野に隠棲していた大海人皇子が決起する。
黄書大伴と共に吉野宮に駆けつけるも、大海人皇子一行は既に吉野宮を発っていた為、追って菟田(うだ)の吾城(あき)で大海人皇子と合流する。
大伴連馬来田・弟の吹負は情勢を知り、病を称して倭の家に退いた。 そして皇位を継ぐのは、吉野にいる大皇弟であろうと思った。 馬来田が先に天皇に従った。 ただし吹負は留まり、名をこの時に立てて災いを転じようと思った。 そして一人、二人と同族及び豪傑を招いて僅かに数十人を得た。
天武天皇12年6月3日
薨去。
天皇は大いに驚き、泊瀬王を遣わして弔った。 そして壬申年の勲績及び歴代先祖の功を挙げて特別に顕賞し、大紫の位を追贈した。 鼓を打ち笛を吹いて葬った。