大伴馬来田 このページは作成途上です 名前 氏(ウジ):大伴【日本書紀】(おおとも, おほとも) 姓(カバネ):連【日本書紀】(むらじ)連 名:馬來田【日本書紀】(まくた)馬来田 名:望多【日本書紀】(まぐた)望多 性別男性 生年月日( ~ 天武天皇元年6月24日) 没年月日天武天皇12年6月3日 父大伴噛(おおとものくい) 先祖 大伴噛 unknown 子大伴道足(おおとものみちたり)【母:不明】 称号・栄典とても広〜い意味です。贈:大紫(だいし)【日本書紀 巻第二十九 天武天皇十二年六月己未条】 出来事 天武天皇元年6月24日 吉野に隠棲していた大海人皇子が決起する。 黄書大伴と共に吉野宮に駆けつけるも、大海人皇子一行は既に吉野宮を発っていた為、追って菟田(うだ)の吾城(あき)で大海人皇子と合流する。 【日本書紀 巻第二十八 天武天皇元年六月甲申条】 大伴連馬来田・弟の吹負は情勢を知り、病を称して倭の家に退いた。 そして皇位を継ぐのは、吉野にいる大皇弟であろうと思った。 馬来田が先に天皇に従った。 ただし吹負は留まり、名をこの時に立てて災いを転じようと思った。 そして一人、二人と同族及び豪傑を招いて僅かに数十人を得た。 【日本書紀 巻第二十八 天武天皇元年六月丙戌条】 天武天皇12年6月3日 薨去。 天皇は大いに驚き、泊瀬王を遣わして弔った。 そして壬申年の勲績及び歴代先祖の功を挙げて特別に顕賞し、大紫の位を追贈した。 鼓を打ち笛を吹いて葬った。 【日本書紀 巻第二十九 天武天皇十二年六月己未条】