伊許自別命
- 名前
- 伊許自別命【新撰姓氏録抄,先代旧事本紀】(いこじわけのみこと)
- 伊許自別【新撰姓氏録抄】
- 阿良都命【新撰姓氏録抄】(あらつのみこと)阿良都命
- 氏(ウジ):針間別佐伯直【新撰姓氏録抄】(はりまのわけさえきのあたい, はりまのわけさへきのあたひ)
- 性別
- 男性
- 生年月日
- ( ~ 成務天皇60年6月11日)
- 没年月日
- (応神天皇元年1月1日 ~ )
- 父
御諸別命 【新撰姓氏録抄 第一帙 第五巻 右京皇別下 佐伯直条】
- 先祖
- 称号・栄典とても広〜い意味です。
針間国造 【先代旧事本紀 巻第十 国造本紀 針間国造条】
- 出来事
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(成務天皇元年1月5日 ~ 成務天皇60年6月11日)
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(応神天皇元年 ~ 応神天皇41年2月15日)
誉田天皇が国境を定める為に行幸して、
針間国 神崎郡 の瓦村 の東の岡上に着いた。この時に青菜の葉が岡のそばの川を流れ下った。
天皇は「川上に人がある」と詔すると、伊許自別命を遣わして問わせた。
答えて「我らは日本武尊が東夷を平定した時に、捕虜になった蝦夷の後裔である。針間・阿芸 ・阿波 ・讃岐 ・伊予 などの国に散り散りに遣わされて、ここに住む氏「後に改めて佐伯と為す」とある。である」と。
伊許自別命はありのままに復奏した。
天皇は「お前が君として治めよ」と詔した。
そして針間別佐伯直 「佐伯はいわゆる氏姓である。直は君をいう」とある。の氏を賜った。後に庚牛年に至り、針間別の三字が脱落して佐伯直となった。
【新撰姓氏録抄 第一帙 第五巻 右京皇別下 佐伯直条】
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- 関連
- 祖父:
稲背入彦命 【先代旧事本紀 巻第十 国造本紀 針間国造条】
- 祖父: