難波日香蛟 名前 氏(ウジ):難波【日本書紀】(なにわ, なには)難波 姓(カバネ):吉師【日本書紀】(きし) 名:日香蛟【日本書紀】(ひかか) 姓(カバネ):吉士【日本書紀】(きし) 名:日香香【日本書紀】(ひかか) 没年月日安康天皇元年2月1日 出来事 安康天皇元年2月1日 安康天皇が根使主の讒言を信じて大草香皇子を殺した。 難波吉師日香蛟父子は大草香皇子に仕えていた。 共にその主君が罪も無く殺されたことを悲しみ、父は王の頸を抱き、二人の子はそれぞれ王の足を抱えた。 そして「我が君は罪も無いのに死んでしまわれた。なんと悲しいことか。我ら親子三人は生前にお仕え申し上げ、死に殉じなければ家来とはいえない」と言うと、自刎して皇子の屍の側で死んだ。 軍衆の悉くが涙を流した。 【日本書紀 巻第十三 安康天皇元年二月戊辰朔条】 雄略天皇14年4月1日 雄略天皇は根使主を殺した。 そして難波吉士日香香の子孫を探し、姓を賜って大草香部吉士(おおくさかべのきし)とした。 【日本書紀 巻第十四 雄略天皇十四年四月甲午朔条】 関連難波日鷹吉士(なにわのひたかのきし)