田中足麻呂 このページは作成途上です 名前 氏(ウジ):田中【日本書紀】(たなか) 姓(カバネ):臣【日本書紀】(おみ) 名:足麻呂【日本書紀】(たりまろ) 足摩侶【日本書紀】(たりまろ) 名:麻呂校異【日本書紀】(まろ) 生年月日( ~ 天武天皇元年6月25日) 没年月日(天武天皇元年7月5日 ~ ) 出来事 天武天皇元年6月25日 吉野で決起した大海人皇子一行を国司守(くにのみこともちのかみ)三宅連石床・介(すけ)三輪君子首、及び湯沐令(ゆのうながし)田中臣足麻呂・高田首新家らが鈴鹿郡(すずかのこおり)で出迎える。 【日本書紀 巻第二十八 天武天皇元年六月甲申条】 天武天皇元年7月2日 大海人皇子から倉歴道(くらふのみち)を守るよう命じられる。 【日本書紀 巻第二十八 天武天皇元年七月辛卯条】 天武天皇元年7月5日 近江の別将田辺小隅は鹿深山(かふかのやま)を越え、幟を巻き鼓を抱いて潜行する様子。倉歴(くらふ)に至った。 夜半に口木を銜えて城柵を穿ち、にわかに陣営の中に侵入した。 自軍と足摩侶軍の判別が難しくなることを恐れ、兵ごとに「金」と言わせた。 刀を抜き、「金」と言わない者をひたすら斬った。 足摩侶の軍は大いに乱れた。急な事で為す術を知らなかった。 ただ足摩侶だけが気付き、「金」と言って難を逃れた。 【日本書紀 巻第二十八 天武天皇元年七月甲子条】