田中足麻呂

  • twitterでツイートする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する

このページは作成途上です

名前
  • 氏(ウジ):田中【日本書紀】(たなか)
  • 姓(カバネ):臣【日本書紀】(お
  • 名:足麻呂【日本書紀】(たりま
  • 足摩侶【日本書紀】(たりま
  • 名:麻呂校異【日本書紀】(ま
生年月日
( ~ 天武天皇元年6月25日)
没年月日
(天武天皇元年7月5日 ~ )
出来事
  • 天武天皇元年6月25日

    吉野で決起した大海人皇子一行を国司守(くにのみこともちのかみ)三宅連石床(すけ)三輪君子首、及び湯沐令(ゆのうながし)田中臣足麻呂・高田首新家らが鈴鹿郡(すずかのこおり)で出迎える。

    【日本書紀 巻第二十八 天武天皇元年六月甲申条】
  • 天武天皇元年7月2日

    大海人皇子から倉歴道(くらふのみち)を守るよう命じられる。

    【日本書紀 巻第二十八 天武天皇元年七月辛卯条】
  • 天武天皇元年7月5日

    近江の別将田辺小隅鹿深山(かふかのやま)を越え、幟を巻き鼓を抱いて潜行する様子。倉歴(くらふ)に至った。

    夜半に口木を銜えて城柵を穿ち、にわかに陣営の中に侵入した。
    自軍と足摩侶軍の判別が難しくなることを恐れ、兵ごとに「金」と言わせた。
    刀を抜き、「金」と言わない者をひたすら斬った。
    足摩侶の軍は大いに乱れた。急な事で為す術を知らなかった。
    ただ足摩侶だけが気付き、「金」と言って難を逃れた。

    【日本書紀 巻第二十八 天武天皇元年七月甲子条】