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天武天皇元年6月25日
吉野で決起した大海人皇子一行を国司守(くにのみこともちのかみ)三宅連石床・介(すけ)三輪君子首、及び湯沐令(ゆのうながし)田中臣足麻呂・高田首新家らが鈴鹿郡(すずかのこおり)で出迎える。
天武天皇元年7月2日
大海人皇子から倉歴道(くらふのみち)を守るよう命じられる。
天武天皇元年7月5日
近江の別将田辺小隅は鹿深山(かふかのやま)を越え、幟を巻き鼓を抱いて倉歴(くらふ)に至った。
夜半に口木を銜えて城柵を穿ち、にわかに陣営の中に侵入した。 自軍と足摩侶軍の判別が難しくなることを恐れ、兵ごとに「金」と言わせた。 刀を抜き、「金」と言わない者をひたすら斬った。 足摩侶の軍は大いに乱れた。急な事で為す術を知らなかった。 ただ足摩侶だけが気付き、「金」と言って難を逃れた。