名前
  • 惠王(けいおう)恵王
  • 【日本書紀】(けい, くゑい)恵
  • 聖明王せいめいおう【日本書紀 巻第十九 欽明天皇十六年二月条】
先祖
  1. 聖明王
  2. unknown
出来事
  • ・・・
    • 555年(1月9日 ~ 2月6日)

      聖明王が新羅に敗れて殺される。

      【日本書紀 巻第十九 欽明天皇十五年十二月条】
  • ・・・
    • 555年(3月9日 ~ 4月6日)

      百済の王子余昌王子恵「王子恵は威徳王の弟である」とある。を遣わして「聖明王は賊の為に殺されました」と奏上した。
      天皇は聞いて傷み恨んだ。使者を遣わして難波津か。に迎えて慰問させた。

      許勢臣名は不明。は王子恵に「ここに留まりますか。それとも本国へ向われますか」と問うた。
      は答えて「天皇の徳に頼って父王の仇を報いたいと思います。もし哀れみを垂れて多くの武器を賜れば、恥を雪ぎ、仇を報いることが臣の願いです。臣の去就は、ただ命に従うのみです」と。

      しばらくして蘇我臣名は不明。が尋ねて「聖王は天道地理を悟り、名は四方八方に知られていた。永く安寧を保ち、海外諸国を統べ治め、千年万年と天皇にお仕えすると思っていたが、思いがけないことになってしまった。にわかに遥かに別れ、水が帰らぬように、玄室(くらきや)にお休みされるとは。何という痛酷の甚だしさよ。何という悲哀の甚だしさよ。心のある者に悼まない者があろうか。もしや何かの咎でこの禍を招いたのか。今また何の策を用いて国家を鎮められようか」と。
      恵が答えて「臣は暗愚で大計を知りません。ましてや禍・福に因るところや国家の存亡などと」と。
      蘇我卿が言うには「昔、大泊瀬の天皇の御世に汝の国が高麗の為に攻められたことの危うさは累卵のようでありました。天皇が神祇伯(かみつかさのかみ)に仰せ付けられて、策を神祇にお尋ねになられた。祝者(はふり)が神の言葉を告げて『(くに)を建てた神を屈請し、亡ぼうとする主を救えば、必ず国家は静まり、人民もまた安らぐであろう』と言った。これによって神をお招きし、行かれてお救いになった。それで国家は安らいだのです。原ねてみれば邦を建てし神とは、天地が分れた頃、草木も物語した時に、天から降られて国家をお造りになった神です。聞くところによると、あなたの国は祀ることをしないといいますが、まさに今、以前の過ちを悔いて神の宮を修理し、神の御霊をお祭りすれば、国家は栄えるでしょう。あなたはこれを忘れてはなりません」と。

      【日本書紀 巻第十九 欽明天皇十六年二月条】
  • ・・・
    • 556年(1月28日 ~ 2月25日)

      百済の王子恵が帰国を願い出た。
      よって多くの兵仗・良馬を賜り、また賞禄も多く、衆人は感嘆した。
      阿倍臣(あべのおみ)佐伯連(さえきのむらじ)播磨直(はりまのあたい)を遣わし、筑紫国の軍船を率いて国まで護送させた。

      別に筑紫火君「百済本記に云う。筑紫君の子、火中君の弟」とある。筑紫君が誰を指すのか不明。筑紫葛子または筑紫磐井か。それとも別の誰かか。を遣わして勇士一千を率いて弥弖(みて)「弥弖は津の名」とある。に護送させ、津の路の要害の地を守らせた。

      【日本書紀 巻第十九 欽明天皇十七年正月条】