野見宿禰

名前
  • 野見宿禰【日本書紀】すくね)
キーワード
  • 相撲
  • 土部連(はじのむらじ)等之始祖【日本書紀 巻第六 垂仁天皇三十二年七月己卯条】
  • 後裔は山城国土師宿禰(はじのすくね)・和泉国土師宿禰・和泉国土師連(はじのむらじ)・和泉国石津連(いしつのむらじ)【新撰姓氏録抄 当サイトまとめ】
生年月日
( ~ 垂仁天皇7年7月7日)
没年月日
(垂仁天皇32年7月6日 ~ )
出来事
  • 垂仁天皇7年7月7日

    垂仁天皇の側の物が奏上して「当麻邑(たぎまのむら)に勇敢な人がいます。当麻蹶速といいます。その人は力が強く、角を折ったり、曲がった鉤を伸ばします。常に周囲に『四方に求めても、我が力に並ぶ物はあるだろうか。何とかして力の強い者に会い、生死を問わず力比べをしたい』と言っています」と。
    天皇はこれを聞くと、群卿に詔して「朕が聞く所によれば、当麻蹶速なる者は天下の力士という。これに並ぶ人はいないだろうか」と。
    一人の臣が進み出て言うには「私が聞く所によると、出雲国に勇士がいて、野見宿禰といいます。お召しになられて、この人を蹶速に当ててみましょう」と。
    その日の内に長尾市を遣わして野見宿禰を呼んだ。
    野見宿禰は出雲からやって来た。そして当麻蹶速と野見宿禰に捔力今の相撲。させた。
    二人は向い合って立つと、足を挙げて蹴り合った。野見宿禰は当麻蹶速の脇骨を折り、また腰を折って殺した。
    それで当麻蹶速の地を奪って野見宿禰に賜った。これがその邑に腰折田(こしおれだ)がある由縁である。
    野見宿禰は留まって仕えた。

    【日本書紀 巻第六 垂仁天皇七年七月乙亥条】
  • 垂仁天皇32年7月6日

    皇后日葉酢媛命が崩じた。
    葬るにはまだ日があり、天皇は群卿に詔して「死に従う道は、以前に良いことではないと知った。この度の殯はいかにするべきか」と。
    ここに野見宿禰が進み出て言うには「君王の陵墓に、生きる人を埋め立てるのは良いことでは御座いません。どう後世に伝えられましょうか。どうか適切な方法を議って奏上致したく存じます」と。
    即ち使者を遣わして出雲国の土部(はじべ)百人を召し上げて、自ら土部らをつかって埴土(はにつち)を取り、人や馬など様々な物の形を作った。それらを天皇に献上して「今後はこの土物(はに)を生きる人の代わりに陵墓に立てて、後世の法としましょう」と言った。
    天皇はこれを大いに喜び、野見宿禰に詔して「お前の便法は真に朕の心に適っている」と。
    そしてその土物を初めて日葉酢媛命の墓に立てた。この土物を名付けて埴輪(はにわ)という、または立物(たてもの)という。
    そして令を下して「今後は陵墓には必ず土物を立てて人を損なってはならない」と言った。
    天皇は厚く野見宿禰の功を誉めて、鍛地(かたしところ)を賜った。そして土部(はじ)の職に任じた。それで本姓を改めて土部臣(はじのおみ)という。これは土部連(はじのむらじ)らが天皇の喪葬を司る由縁である。

    【日本書紀 巻第六 垂仁天皇三十二年七月己卯条】
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