名前
  • 氏(ウジ):大伴【日本書紀】(おおとも, おほも)
  • 姓(カバネ):連【日本書紀】(むらじ)連
  • 名:狹手彥【日本書紀】(さて)狭手彦
生年月日
( ~ 宣化天皇2年10月1日)
没年月日
(欽明天皇23年8月1日 ~ )
  • 大伴金村おおとものかなむら【日本書紀 巻第十八 宣化天皇二年十月壬辰朔条】
先祖
  1. 大伴金村
  2. unknown
  • 善徳ぜんとく【日本書紀 巻第二十一 崇峻天皇三年是歳条】【母:不明】
子孫
  1. 善徳
出来事
  • 宣化天皇2年10月1日

    宣化天皇は新羅が任那に寇することから大伴金村大連に詔して、その子のと狭手彦を遣わして任那を助けさせた。

    この時には筑紫に留まり、その国の政を執って三韓に備えた。
    狭手彦は往って任那を鎮め、また百済を救った。

    【日本書紀 巻第十八 宣化天皇二年十月壬辰朔条】
  • 欽明天皇23年8月

    欽明天皇は大将軍大伴連狭手彦を遣わし兵数万を率いさせて高麗(こま)を討たせた。
    狭手彦は百済の計を用いて高麗を打ち破った。
    その王は垣を越えて逃げた。
    狭手彦は遂に勝ちに乗じて宮に入り、全ての珍宝・金品・七織帳(ななえのおりもののとばり)鉄屋(くろがねのいえ)共に未詳。「旧い本に云うには、鉄屋は高麗の西の高楼の上に在り、織帳は高麗王の内寝(おおとのに)に張ってあったという」とある。また「鉄屋は長安寺に在る。この寺は何れの国に在るかは知らない」とある。を得て帰還した。
    七織帳は天皇に献上した。
    (よろい)二領・金飾刀二口・銅鏤鍾(あかがねのえりたるかね)三口・五色の幡二竿・美女媛「媛は名である」とある。・その従女吾田子蘇我稲目宿禰大臣に送った。大臣は二女を召し入れて妻とし、軽曲殿(かるのまがりどの)に置いた。

    【日本書紀 巻第十九 欽明天皇二十三年八月条】
    • 十一年、大伴狭手彦連は百済国と共に、高麗王陽香比津留都(ひつるつ)に退却させた。

      【日本書紀 巻第十九 欽明天皇二十三年八月条 一本云】
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