物部伊勢父根
- 名前
- 氏(ウジ):物部伊勢【日本書紀】(もののべのいせ)
- 姓(カバネ):連【日本書紀】(むらじ)連
- 名:父根【日本書紀】(ちちね)
- 生年月日
- ( ~ 継体天皇23年3月30日)
- 没年月日
- (継体天皇23年3月1日 ~ )
- 出来事
-
継体天皇23年3月
継体天皇は物部伊勢連父根・吉士老らを遣わして津多沙津を百済王に賜わった。
加羅王が勅使に言うには「この津は官家を置いて以来、私が朝貢するときの寄港地としております。どうしてたやすく隣国に賜わられるのでしょうか。始めに与えられた地と違います」と。
勅使の父根らはこれによって下賜が難しいとして大島に退いた。
別に録史 を遣わして、果して扶余 に遣わした。
これにより加羅は新羅と結んで日本を怨むようになった。加羅王は新羅王の女を娶って子が生まれた。
新羅がはじめ女を送るときに百人を遣わして女の従者とした。これを諸県に分散させて受け入れて新羅の衣冠を着けさせた。
阿利斯等はその服を変えさせたことに憤り、使いを遣わして送り返した。
新羅は面目を失い、女を戻そうとして言うには「そちらの話を受けて私は結婚を許したのだ。このようになるなら王女を返してもらおう」と。
加羅の己富利知伽『未詳』とある。は答えて「夫婦として合わせて今更どうやって離れることが出来ようか。また子もあり、これを棄ててどこに行けるものか」と。遂に新羅は
【日本書紀 巻第十七 継体天皇二十三年三月是月条 第一】刀伽 ・古跛 ・布那牟羅 の三城を取り、また北の境の五城を取った。 -
継体天皇は物部伊勢連父根・吉士老らを遣わして津多沙津を百済王に賜わった。
加羅王が勅使に言うには「この津は官家を置いて以来、私が朝貢するときの寄港地としております。どうしてたやすく隣国に賜わられるのでしょうか。始めに与えられた地と違います」と。
勅使の父根らはこれによって下賜が難しいとして大島に退いた。
別に録史 を遣わして、果して扶余 に遣わした。
これにより加羅は新羅と結んで日本を怨むようになった。加羅王は新羅王の女を娶って子が生まれた。
新羅がはじめ女を送るときに百人を遣わして女の従者とした。これを諸県に分散させて受け入れて新羅の衣冠を着けさせた。
阿利斯等はその服を変えさせたことに憤り、使いを遣わして送り返した。
新羅は面目を失い、女を戻そうとして言うには「そちらの話を受けて私は結婚を許したのだ。このようになるなら王女を返してもらおう」と。
加羅の己富利知伽『未詳』とある。は答えて「夫婦として合わせて今更どうやって離れることが出来ようか。また子もあり、これを棄ててどこに行けるものか」と。遂に新羅は
刀伽 ・古跛 ・布那牟羅 の三城を取り、また北の境の五城を取った。
-
- 関連
物部至至 同一人物か。