- 名前
- 位奈部橘王【上宮聖徳法王帝説】(いなべのたちばなのみこ, ゐなべのたちばなのみこ)
- 多至波奈大女郞【上宮聖徳法王帝説,天寿国曼荼羅繡帳縁起勘点文】(たちばなのおおいらつめ, たちばなのおほいらつめ)多至波奈大女郎
- 韋那部橘王【聖徳太子平氏伝雑勘文】(いなべのたちばなのみこ, ゐなべのたちばなのみこ)
- 性別
- 女性
- 生年月日
- ( ~ 推古天皇29年12月21日)
- 没年月日
- (推古天皇30年2月22日 ~ )
- 父
尾治王 【上宮聖徳法王帝説】
- 先祖
- 配偶者
聖徳太子 【上宮聖徳法王帝説】
- 子
- 出来事
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推古天皇29年12月21日
日の入りに母孔部間人王が崩じる。
【上宮聖徳法王帝説 法隆寺蔵繍帳二張縫著亀背上文字, 天寿国曼荼羅繡帳縁起勘点文】 -
推古天皇30年2月22日
夜半に太子が崩じる。
【上宮聖徳法王帝説 法隆寺蔵繍帳二張縫著亀背上文字, 天寿国曼荼羅繡帳縁起勘点文】 -
(推古天皇30年2月22日 ~ )
時に多至波奈大女郎は悲しみ嘆息して言うには「畏き天皇の前で申し上げるのは恐れ多いことですが、懐く心を止めるのは難しいのです。我が大王と母王が期を同じくして従遊されました。痛酷は比べようがありません。我が大王のお告げでは、世間は虚仮であり、ただ仏のみが真であると仰いました。その法を玩味すると、我が大王はまさに天寿国の中に生まれるべきだと思うのです。しかしその国の形は目には見えません。願わくは図像に因り、大王往生のお姿を拝見したいと思います」と。
【上宮聖徳法王帝説 法隆寺蔵繍帳二張縫著亀背上文字, 天寿国曼荼羅繡帳縁起勘点文】
天皇はこれを聞いて悽然として言うには「我が孫が申すことは誠である。その通りにせよ」と。
諸々の采女らに勅して繍帷二張を造らせた。
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