- 名前
- 金道那【日本書紀】(こんどうな, こむどうな)
- 生年月日
- ( ~ 689年5月14日)
- 没年月日
- (689年7月23日 ~ )
- 称号・栄典
級飡 【日本書紀 巻第三十 持統天皇三年四月壬寅条】
- 出来事
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689年5月14日
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689年6月15日
新羅の弔使級飡金道那らに詔して「太正官の卿たちが勅は承って告げたが、二年に田中朝臣法麻呂らを遣わして
【日本書紀 巻第三十 持統天皇三年五月甲戌条】大行天皇 の喪を告げさせた。時に新羅は『新羅が勅を承る人は、元来蘇判の位を用いていました。今もまたそのようにしたいと思います』と言った。これにより法麻呂らは赴告の詔を宣べることが出来なかった。もし前の事を言うとすれば、昔、難波宮治天下天皇が崩御された時に、巨勢稲持らを遣わして喪を告げる日に翳飡金春秋が勅を承った。しかし蘇判が勅を承るとすれば前の事と違っている。また近江宮治天下天皇が崩御された時に一吉飡金薩儒らを遣わして弔った。しかし今級飡が弔いを承るのは、また前の事と違っている。また新羅は元来『我が国は日本の遠い皇祖の御代から、舳を並べ、楫を干さずにお仕えする国でございます』と言っていた。しかし今一艘なのは、また故典と違っている。また『日本の遠い皇祖の御代から、清らかな心でお仕え申し上げます』と言うが、忠誠を尽くして職務を果そうと思っていない。清らかな心を傷つけ、偽りの心で媚びてくる。これ故に調賦と献上物は封印して返還する。しかし我が国家の遠い皇祖の御代から、広くお前たちを慈しまれた徳を絶やしてはならない。いよいよ勤め謹み畏んでその職務を修め、法度に遵い奉る者は、天朝は広く慈しまれるであろう。道那たちはこの勅を承り、お前たちの王に宣べよ」と。 -
689年7月16日
筑紫の
【日本書紀 巻第三十 持統天皇三年六月乙巳条】小郡 で饗応を受け、物を賜る。 -
689年7月23日
帰途に就く。
【日本書紀 巻第三十 持統天皇三年七月壬子朔条】
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