蓋鹵王
- 名前
- 蓋鹵王【日本書紀】(がいろおう, こうろおう, かふろおう)
- 加須利君【日本書紀】(かすりのきし, かすりのきみ)
- 性別
- 男性
- 父
- 先祖
- 子
- 出来事
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458年(7月27日 ~ 8月24日)
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己巳年およそ西暦369,429,489,549年が己巳年。に蓋鹵王が即位した。
【日本書紀 巻第十四 雄略天皇二年七月条 百済新撰云】
天皇は阿礼奴跪を遣わして女郎 を求めた。
百済は慕尼夫人 の女を飾らせて適稽女郎 と呼んで天皇に献上した。
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461年(4月26日 ~ 5月24日)
百済の加須利君(蓋鹵王)は人づてに池津媛(
【日本書紀 巻第十四 雄略天皇五年四月条】適稽女郎 )が焼き殺されたことを聞き、議って言うには「昔、女を献上して采女とした。しかし無礼にも我が国の名を貶めた。今後は女を献上してはならない」と。
そしてその弟の軍君(昆支君)に「お前は日本に行って天皇に仕えよ」と告げた。
軍君は「君上の命を違えることは出来ません。願わくは君の婦 を賜り、その後にお遣わし下さい」と答えた。
加須利君は孕んだ婦を軍君に嫁がせて言うには「我が孕める婦は臨月に当たる。もし途中で出産したら、一つの船に乗せて、どこからでも速やかに国に送り返してくれ」と。
そして共に別れの言葉を述べて朝 に遣わした。
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461年6月24日
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(476年11月3日 ~ 477年1月29日)雄略天皇二十年冬。
【日本書紀 巻第十四 雄略天皇二十年冬条】高麗 王が大軍を興して百済を滅ぼした。
わずかな生き残りがいて倉下 に集まっていた。兵糧は既に尽きて深く憂えて泣いた。
高麗の諸将が王に言うには「百済の心栄えはよくわかりません。我々は見るたびに迷ってしまいます。おそらくまた蔓延るではないでしょうか。どうか追い払って下さい」と。
王が言うには「それは出来ない。百済国は日本国の官家 となって久しいと聞く。またその王が天皇に仕えていることは近隣諸国はみな知っている」と。それで取り止めた。 -
【日本書紀 巻第十四 雄略天皇二十年冬条 百済記云 蓋鹵王乙卯年冬】狛 の大軍がやって来て大城 漢城を攻めること七日七夜。王城は陥落した。
ついに尉礼 国百済国を失った。
王・大后・王子らは敵の手によって殺された。
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- 関連
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汶洲王 (文周王 )汶洲王は蓋鹵王の母の弟としている。【日本書紀 巻第十四 雄略天皇二十一年三月条】
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