池津媛 名前 池津媛【日本書紀】(いけつひめ) 適稽女郞【日本書紀】(ちゃくけいえはしと)適稽女郎 性別女性 没年月日458年(7月27日 ~ 8月24日) 配偶者石川楯(いしかわのたて)【日本書紀 巻第十四 雄略天皇二年七月条】 出来事 458年(7月27日 ~ 8月24日) 百済の池津媛は雄略天皇がまさに召そうとした時に背いて石河楯と通じた。 天皇は激怒し、大伴室屋大連に詔して来目部(くめべ)を使って夫婦の四肢を木に張りつけ、桟敷の上に置かせて火で焼き殺させた。 【日本書紀 巻第十四 雄略天皇二年七月条】 己巳年およそ西暦369,429,489,549年が己巳年。に蓋鹵王が即位した。 天皇は阿礼奴跪を遣わして女郎(えはしと)を求めた。 百済は慕尼夫人(むにはしかし)の女を飾らせて適稽女郎(ちゃくけいえはしと)と呼んで天皇に献上した。 【日本書紀 巻第十四 雄略天皇二年七月条 百済新撰云】 461年(4月26日 ~ 5月24日) 百済の加須利君は人づてに池津媛が焼き殺されたことを聞き、議って言うには「昔、女を献上して采女とした。しかし無礼にも我が国の名を貶めた。今後は女を献上してはならない」と。 【日本書紀 巻第十四 雄略天皇五年四月条】