奴理能美

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名前
  • 奴理能美【古事記】(ぬり
  • 努理使主【新撰姓氏録抄】(ぬり,
  • 努利使主【新撰姓氏録抄】(ぬり,
  • 怒理使主【新撰姓氏録抄】(ぬり,
  • 乃里使主【新撰姓氏録抄】
キーワード
  • 後裔は左京調連(つきのむらじ)・右京民首(みたみのおびと)・山城国民首・山城国伊部造(いべのみやつこ)・河内国水海連(あまのむらじ)・河内国調曰佐(つきのおさ)【新撰姓氏録抄 当サイトまとめ】
生年月日
( ~ 応神天皇41年2月15日)
没年月日
(応神天皇元年1月1日 ~ )
出来事
  • (応神天皇元年 ~ 応神天皇41年2月15日)

    応神天皇の御世に百済から帰化した。

    【新撰姓氏録抄 第三帙 第二十二巻 左京諸蕃下 百済 調連条】
  • 仁徳天皇が大后不在の間に八田若郎女と結婚したため、大后石之日売命は激怒して、筒木(つつき)韓人(からひと)奴理能美の家に暫く入った。

    口子臣・その妹の口比売・奴理能美の三人が相談して天皇に奏上するには「大后が行幸なされましたのは、奴理能美が飼っている虫が、一度は這う虫になり、一度は繭になり、一度は鳥を飛び、三色に変わる不思議な虫であり、この虫を御覧になるためで、他意はございません」と。
    天皇は「自分も奇妙だと思うので、見に行こうと思う」と言うと、大宮から上って奴理能美の家に入った。
    その奴理能美は自分が育てている三種に変わる虫を大后に献上した。

    【古事記 下巻 仁徳天皇段】
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  • 孫:阿久太あくた【新撰姓氏録抄 第三帙 第二十二巻 左京諸蕃下 百済 調連条】