高田根麻呂 名前 氏(ウジ):高田【日本書紀】(たかた) 姓(カバネ):首【日本書紀】(おびと) 名:根麻呂【日本書紀】(ねまろ) 八掬脛【日本書紀】(やつかはぎ) 生年月日( ~ 白雉4年5月12日) 没年月日( ~ 白雉4年7月30日) 称号・栄典とても広〜い意味です。大山下(だいせんげ)【日本書紀 巻第二十五 白雉四年五月壬戌条】 出来事 白雉4年5月12日 孝徳天皇の命を受け、遣唐船二隻中一隻の大使として乗船する。 副使小乙上掃守連小麻呂。学問僧道福・義向、合せて百二十人が一つの船に乗った。 送使は土師連八手。 【日本書紀 巻第二十五 白雉四年五月壬戌条】 ( ~ 白雉4年7月30日) 大唐に遣わした使人高田根麻呂らが、薩麻(さつま)の曲(くま)と竹島(たかしま)の間で船が衝突、沈没して死んだ。 ただ五人のみが胸を一つの板にかけて竹島に流れ着いた。しかし為す術が無かった。 五人の中で門部金が竹を採って筏を作って神島(しとけしま)に着いた。 この五人は六日六夜の間に食事を全く取れなかった。 金を褒め、位を進めて禄を賜った。 【日本書紀 巻第二十五 白雉四年七月条】