白猪胆津 名前 氏(ウジ):白猪【日本書紀】(しらい, しらゐ)白猪 姓(カバネ):史【日本書紀】(ふひと) 名:膽津【日本書紀】(いつ)胆津 生年月日( ~ 欽明天皇30年1月1日) 没年月日(敏達天皇3年10月9日 ~ ) 出来事 欽明天皇30年1月1日 欽明天皇が詔して「田部を設置してから久しい。年齢が十余りになっても籍から漏れて課役を免れる者が多い。胆津「胆津は王辰爾の甥である」とある。を遣わして白猪田部(しらいのたべ)の丁(よほろ)の籍を調べ定めよ」と。 【日本書紀 巻第十九 欽明天皇三十年正月辛卯朔条】 欽明天皇30年4月 胆津が白猪田部の丁者を調べて詔のままに籍を定めた。果して田戸が完成した。 天皇は胆津が籍を定めた功を褒めて白猪史(しらいのふひと)の姓を賜った。 即ち田令(たつかい)に任じて瑞子の副官とした。 【日本書紀 巻第十九 欽明天皇三十年四月条】 敏達天皇3年10月9日 敏達天皇は蘇我馬子大臣を吉備国に遣わして、白猪屯倉(しらいのみやけ)と田部(たべ)屯倉の農民。の数を増やした。 田部の名籍(なのふみた)を白猪史胆津に授けた。 【日本書紀 巻第二十 敏達天皇三年十月丙申条】 関連おじ:王辰爾(おうじんに)【日本書紀 巻第十九 欽明天皇三十年正月辛卯朔条】