欽明天皇30年1月1日
欽明天皇が詔して「田部を設置してから久しい。年齢が十余りになっても籍から漏れて課役を免れる者が多い。胆津を遣わして白猪田部(しらいのたべ)の丁(よほろ)の籍を調べ定めよ」と。
欽明天皇30年4月
胆津が白猪田部の丁者を調べて詔のままに籍を定めた。果して田戸が完成した。 天皇は胆津が籍を定めた功を褒めて白猪史(しらいのふひと)の姓を賜った。 即ち田令(たつかい)に任じて瑞子の副官とした。
敏達天皇3年10月9日
敏達天皇は蘇我馬子大臣を吉備国に遣わして、白猪屯倉(しらいのみやけ)と田部(たべ)の数を増やした。 田部の名籍(なのふみた)を白猪史胆津に授けた。