彦狭島王 名前 彥狹嶋王【日本書紀】(ひこさしまのみこ)彦狭島王 彥狹嶋命【新撰姓氏録抄,先代旧事本紀】(ひこさしまのみこと)彦狭島命 キーワード後裔は左京垂水史(たるみのふひと)【新撰姓氏録抄 当サイトまとめ】 性別男性 生年月日( ~ 崇神天皇68年12月5日) 没年月日(景行天皇55年2月5日 ~ 景行天皇56年8月) 子御諸別王(みもろわけのみこ)【日本書紀 巻第七 景行天皇五十六年八月条】【母:不明】 称号・栄典とても広〜い意味です。上毛野国造(かみつけののくにのみやつこ)(毛野国造?)【先代旧事本紀 巻第十 国造本紀 上毛野国造条】 出来事 (崇神天皇元年1月13日 ~ 崇神天皇68年12月5日) 瑞籬朝の御世に東方十二国を平定して毛野国に封じられる。 【先代旧事本紀 巻第十 国造本紀 上毛野国造条】 (景行天皇55年2月5日 ~ 景行天皇56年8月) 景行天皇より東山道十五国の都督に任じられる。 しかし春日(かすが)の穴咋邑(あなくいのむら)に着いた時に、病に臥して薨じた。 この時に東国の百姓は、その王が到着出来なかったことを悲しんで、密かに王の屍を盗んで上野国(かみつけののくに)に葬った。 【日本書紀 巻第七 景行天皇五十五年二月壬辰条】 景行天皇56年8月 子の御諸別王が父に代わって東国を治める。 【日本書紀 巻第七 景行天皇五十六年八月条】 関連祖父:豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)【日本書紀 巻第七 景行天皇五十五年二月壬辰条, 新撰姓氏録抄 第一帙 第三巻 左京皇別下 垂水史条】同一人物?:彦狭島命(ひこさしまのみこと)【先代旧事本紀 巻第十 国造本紀 能等国造条】