御諸別王 名前 御諸別王【日本書紀】(みもろわけのみこ)御諸別王 彌母里別命【新撰姓氏録抄】(みもろわけのみこと, みもさとわけのみこと)弥母里別命 御諸別命【新撰姓氏録抄】(みもろわけのみこと)御諸別命 大御諸別命【新撰姓氏録抄】(おおみもろわけのみこと, おほみもろわけのみこと)大御諸別命 キーワード後裔は和泉国珍県主(ちぬのあがたぬし)・和泉国葛原部(くずはらべ)【新撰姓氏録抄 当サイトまとめ】 性別男性 生年月日( ~ 景行天皇56年8月29日) 没年月日(景行天皇56年8月1日 ~ ) 父彦狭島王(ひこさしまのみこ)【日本書紀 巻第七 景行天皇五十六年八月条】 先祖 彦狭島王 unknown 出来事 景行天皇56年8月 景行天皇が御諸別王に詔して「お前の父彦狭島王は任地に着く前に薨じてしまった。だからお前は専ら東国を治めよ」と。 御諸別王は天皇の命を承り、父の業を成すために、そこに行って早速善政を敷いた。 時に蝦夷(えみし)が騒いだので挙兵して討った。 蝦夷の首領の足振辺・大羽振辺・遠津闇男辺らがやって来て叩頭した。罪を認め、全ての領地を献上した。 そこで降伏した者を許し、降伏しない者は誅した。 これで東方は久しく事なきを得た。その子孫は今も東国にいる。 【日本書紀 巻第七 景行天皇五十六年八月条】 関連三世祖:豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)【新撰姓氏録抄 第一帙 第八巻 摂津国皇別 韓矢田部造条】孫:現古君(うつしこのきみ)【新撰姓氏録抄 第一帙 第八巻 摂津国皇別 韓矢田部造条】同一人物?:御穂別命(みほわけのみこと)