白雉4年5月12日
孝徳天皇の命を受け、遣唐船二隻中一隻の大使として乗船する。 副使小乙上吉士駒、学問僧道厳・道通・道光・恵施・覚勝・弁正・恵照・僧忍・知聡・道昭・定恵・安達・道観、学生巨勢臣薬・氷連老人、合せて百二十一人が一つの船に乗った。或る本では学問僧知弁・義徳、学生坂合部連磐積を加える。 送使は室原首御田。
( ~ 白雉4年7月30日)
別の遣唐船が薩麻(さつま)の曲(くま)と竹島(たかしま)の間で船が衝突、沈没する。
白雉5年7月24日
百済・新羅の送使と共に筑紫に着く。
白雉5年7月(24日 ~ 30日)
唐国の天子に奉対して多くの文書・宝物を得たことを孝徳天皇に褒められる。 小花下を授かり、封二百戸を賜り、呉氏の姓を賜る。