天武天皇元年6月29日
留守司高坂王と挙兵の使者穂積臣百足らは飛鳥寺の西の槻の下に軍営を構えていた。 この時に軍営の中の兵は「高市皇子が不破から来られた。軍勢が多く従っているぞ」という叫び声を聞いて悉く散り逃げた。
大伴吹負は穂積百足を斬り、穂積五百枝・物部日向を捕え、高坂王・稚狭王を軍に従わせた。
天武天皇7年9月
薨じる。