稚狭王 名前 稚狹王【日本書紀】(わかさのおおきみ, わかさのおほきみ)稚狭王 生年月日( ~ 天武天皇元年6月29日) 没年月日天武天皇7年9月 称号・栄典とても広〜い意味です。三位(さんみ)【日本書紀 巻第二十九 天武天皇七年九月条】 出来事 天武天皇元年6月29日 留守司高坂王と挙兵の使者穂積臣百足らは飛鳥寺の西の槻の下に軍営を構えていた。 この時に軍営の中の兵は「高市皇子が不破から来られた。軍勢が多く従っているぞ」という叫び声大伴吹負の謀略。を聞いて悉く散り逃げた。 大伴吹負は穂積百足を斬り、穂積五百枝・物部日向を捕え、高坂王・稚狭王を軍に従わせた。 【日本書紀 巻第二十八 天武天皇元年六月己丑条】 天武天皇7年9月 薨じる。 【日本書紀 巻第二十九 天武天皇七年九月条】