大伴部博麻

  • twitterでツイートする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
名前
  • 氏(ウジ):大伴部【日本書紀】(おおともべ, おほ
  • 名:博麻【日本書紀】(はかま)
  • 名:博麻呂校異【日本書紀】(はかま
生年月日
( ~ 斉明天皇7年12月29日)
没年月日
(持統天皇4年10月22日 ~ )
称号・栄典とても広〜い意味です。
  • 務大肆むだいし【日本書紀 巻第三十 持統天皇四年十月乙丑条】
出来事
  • 斉明天皇7年

    百済を救う役で唐軍の捕虜となる。

    【日本書紀 巻第三十 持統天皇四年十月乙丑条】
  • 持統天皇4年9月23日

    大唐の学問僧智宗義徳浄願軍丁(いくさよほろ)筑紫国の上陽咩郡(かみつやめのこおり)大伴部博麻が新羅の送使大奈末金高訓らに従って筑紫に帰還する。

    【日本書紀 巻第三十 持統天皇四年九月丁酉条】
  • 持統天皇4年9月24日

    京師(みやこ)に至る。

    【日本書紀 巻第三十 持統天皇四年九月戊戌条】
  • 持統天皇4年10月22日

    軍丁筑紫国の上陽咩郡の人大伴部博麻に詔して「天豊財重日足姫天皇の七年斉明天皇七年。、百済を救う役でお前は唐軍の捕虜となった。天命開別天皇の三年天智天皇即位三年。天智天皇称制九年。に、土師連富杼氷連老筑紫君薩夜麻弓削連元宝の子の四人が唐人の計画を奏上しようと思ったが、衣糧も無く、達成できないことを憂えた。そこで博麻は土師富杼らに『私はお前たちと共に本朝に行きたいが、衣糧が無く共に行くことは出来ない。どうか私の身を売って衣食に充ててくれ』と言った。富杼らは、博麻の計画に任せて、天朝に帰ることが出来た。お前は他国に一人残って三十年。朕はその朝廷を尊び国を愛し、己を売って忠心を表したことが嬉しい。そこで務大肆とあわせて絁五匹・綿十屯・布三十端・稲千束・水田四町を賜ろう。その水田は曽孫で引き継げ。三族の課役を免じ、その功を顕彰する」と。

    【日本書紀 巻第三十 持統天皇四年十月乙丑条】