押坂部毛屎
- 名前
- 氏(ウジ):押坂部【日本書紀】(おしさかべ)
- 姓(カバネ):史【日本書紀】(ふひと)
- 名:毛屎【日本書紀】(けくそ)
- 生年月日
- ( ~ 用明天皇2年4月2日)
- 没年月日
- (用明天皇2年4月2日 ~ )
- 出来事
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用明天皇2年4月2日記事に二年夏四月乙巳朔丙子とあるが、乙巳を朔日とすると丙子(32日)は誤り。次の崩御記事が癸丑(9日)であるから丙午(2日)か壬子(8日)が候補か。当サイトでは丙午とする。
用明天皇が群臣に詔して「朕は三宝仏・法・僧。に帰依しようと思う。卿らも議るように」と。群臣は入朝して議った。
物部守屋大連と中臣勝海連が詔を違えて言うには「どうして国つ神に背いて他の神を敬うことがあろうか。元来このようなことは聞いたことが無い」と。
蘇我馬子宿禰大臣が言うには「詔に従って助け奉るべきである。誰が異なる考えを生じようか」と。
皇弟皇子 「皇弟皇子とは穴穂部皇子、即ち天皇の庶弟である」とある。は豊国法師「闕名」とある。を連れて内裏に入った。
物部守屋大連は横目で睨んで激怒した。この時に押坂部史毛屎が慌ててやってきて、密かに大連に「いま群臣が謀って、あなたの退路を断とうとしています」と語った。
【日本書紀 巻第二十一 用明天皇二年四月丙子条】
大連はこれを聞き、阿都 「阿都とは大連の別業がある所の地名である」とある。に退いて人を集めた。
中臣勝海連は家に兵を集めて大連を助けた。
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